沼の見える街

ぬまがさのブログです。おもに映画の感想やイラストを描いたりしています。

『百日紅』批判に文句言うナイト

  • きのう観た映画『駆け込み女と駆け出し男』の話をしようと思ったが、イラストが完成してないので、やっぱり別の話をしよう…。
  • この前みて絶賛した映画『百日紅 〜Miss HOKUSAI』の評判をなんとなく漁り中。「傑作!」という意見も多いけど、けっこう批判みたいな声も見かけるので、「フ〜ン」とか思いつつ目を通している。
  • そんで、なにやら着物の着方が間違ってるとか、お江戸文化にお詳しい人が怒ってる文章も読んだ。「そういう間違いを大多数の前で披露されちゃうと、それが正解だと思われちゃう」ことを危惧している、とのこと。ほう。「地道に積み上げてきた江戸がガラガラと崩れ去る」とまで仰っている。ははあ。なかなか言いますなあ。
  • なるほど、たしかに『百日紅』って妖怪とか出てくるし、「妖怪っているんだ!」っていう間違いを人々に植え付けちゃう可能性もありますね。人類が地道に積み上げてきた科学観が、『百日紅』のせいでガラガラと崩れ去ってしまうかもしれません。フィクションとはいえ、あんまり妖怪とか出さないでほしいものですな…。困ったもんだ、まったく。
  • …皮肉はともかく、「お詳しい」ってのも大変ですね、と素直に思う。こんな凄い作品を見せられても、些細な欠点のほうに目がいっちゃうんだから。そしてこういう「お詳しい」方って大抵、他にたっっくさんあるはずの「間違ってない」部分については特にコメントしないんだよな。その素晴らしい知識を活かして教えてくれても良さそうなものだが。
  • 怒られるかもしれないが、正直「別にいいじゃん、多少間違ってたって…。こんなに傑作なんだからさあ!」と思ってしまう。少なくとも私は、「間違ってないもの」を観るためにわざわざ映画館くんだりまで出かけるわけじゃない。授業じゃないんだから。芸術作品なんだからさ。「面白いもの」「凄いもの」「美しいもの」を観るために、金を払っているんだよ。それを得られたなら、引き換えに間違った着付けの知識を植え付けられてしまったところで、そんなものは誤差として私は許す。
  • 正しい知識を得るチャンスはきっと今後もあるだろう。だけど『百日紅』の、リアリズムと幻想が交錯した圧倒的に美しい世界を、映画館で観られる機会なんてもう二度とないかもしれない。
  • 何も時代劇に限ったことではないが、細部の正しさを過度に重視する「お詳しい」方々が、創作の現場を息苦しくしているという側面だってあるんじゃないですかね。「お詳しい」方々のご批判を恐れるあまり、作り手もダイナミックな面白さより、どうでもいいような考証的な正確さに神経を使いすぎるようになる。その結果「時代劇」はどんどんつまらなくなり、見る人が減り、作る人も減る。そうして最終的に、(杉浦日向子を含む)先人たちが積み上げてきた「江戸がガラガラと崩れ去って」いくという結末だって、ありうるんじゃねーーーの?と思うのですが。(最近読んだ本の受け売りが入ってます…)
  • まあ別に、『百日紅』の細部をディスる方を軽蔑しているわけではないです。きちんと勉強されていて、愛する文化があって、とても立派なことだと思う。今時珍しい、尊敬に値する知的な人たちなのだろう。ただ、その知識という素晴らしい「刀」は、なるべく慎重に振るってほしいな、と思うだけだ。
  • それに、人それぞれ「許せない領域」というのはあるんだよな。私だって『シンデレラ』をわりと偏った見方で批判したし、よくわかる(よって『シンデレラ』好きな人にディスられる覚悟も一応してる)。最近だと映画『セッション』をジャズのプロである菊地成孔が猛烈に叩いていたし、例の件はその『百日紅』バージョン(の軽い版)ってとこですかね。ただ『セッション』は細部うんぬん以前にそこまで上等な映画とは思えなかったのに比べ、『百日紅』はぜひとも擁護したかったので、ちょっと、むきになっちゃいました。
  • 最近、語調が荒くて申し訳ないです。今回に至っては謎のケンカ腰だし、ボロが出つつあるな〜…あーあ。でも本当に『百日紅』は、緻密かつ大胆な素晴らしい作品だと思うので、ネットの批判を真に受けて観に行かないのはあまりにもったいない…。こんなに傑作なのに、小規模公開の小さな映画だし、どうせ売上も苦戦していることでしょうから(どうせって)、迷っている方はぜひ。では。