沼の見える街

ぬまがさのブログです。おもに映画の感想やイラストを描いたりしています。

『メイキング・オブ・マッドマックス』読んだ!

  • 『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:THE ART OF MAD MAX FURY ROAD)が届いたので、さっそく読みました。評判通り、とても良かったです!
  • 先日まではどこを探しても品切れで、なぜかセブンネットにだけあったので嬉々として注文したんですが、今日見たらAmazonにも在庫がありました…。大人気ですぐ売り切れちゃったので、出版社が慌てて増版してるんでしょうね。ホント、こういう誠実な作りの本はもっとガンガン売れればいいと思いますよ。ソフトカバーだったのは少し意外だったけど、中身がめちゃくちゃ濃くて分厚いので、ハードカバーよりこっちの方が良いか。
  • 序文を書くのは高橋ヨシキさん。最近ジョージ・ミラーに優れたインタビューをしていたし、焼き印も押してるし(?)、ナイスな人選ですね。文中の「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はひとつの大聖堂であり、宗教芸術だ」というたとえ、言い得て妙です。本作の「美術」のあまりの完成度の高さが醸し出す、どこか狂信的なヤバさをよく言い表していると思います。
  • ヨシキさんの序文、監督の挨拶、プロローグ(製作裏話)に続き、メインのコンテンツが始まるんですが、これが大変に豪華。舞台美術、登場人物の設定や衣装、車のデザインといった、『マッドマックス』のヴィジュアルがこれでもかとばかり詰め込まれています。この映画は膨大な量の「物語」をぎゅーっと「見た目(ルック)」に凝縮するという語りの手法をとっているので、その濃すぎる視覚情報をバンバン見せられるともう、頭がフラッフラしてきます。ドラッグムービーならぬドラッグ本ですね。
  • とはいえ(当然ながら)本書、まずはシンプルに美しい「画集」として楽しめる本です。作中のショットがふんだんに収録されているんですが、その「一枚絵」としての完成度にはつくづく驚かされるばかり。製作風景の写真もたくさん入ってますが、(訳者あとがきでも書かれていたように)CG合成用のグリーンバックがほとんど用いられておらず「ああ、あの場面もこの場面もガチで撮っていたんだなあ…」と改めて実感。
  • 主演のトム・ハーディも、大体のアクションを自分でこなしたようです。冒頭でウォー・ボーイズから逃げてピョーンとフックに向かって飛ぶシークエンスも、スタントなしでやったとのこと。あの高さはさすがにCG表現だろうし、本当にやばいところはスタントがついたでしょうが、そうはいってもこの映画「ガチ」の割合が平均よりずっと高いので、全体的に満遍なくやばいんですよね…。ハーディさん、「スタントマン連中の成し遂げたことに比べれば、俺のやったことなんて気楽なドライブさ」とか言ってましたが、やはり通常ではありえないような凄まじいアクションをこなしたんだと思います。
  • 大隊長フュリオサの斬新なキャラ造形も、初期デザインの頃からほとんど変わってなくてスゴイ。やたらカッコイイあの義手も、材料とか機能とか、とことんリアリズムを追求して作られたそうな。軽いバージョンとか、スタント用の「やわらか義手」なんかもあるとのこと。どんな質感なんだろ…。
  • ラスボスのイモータン・ジョーは初期案の方がイケメン度は高いですね。紫のボディに赤いマントってすごい色使いだな。マスクも完成案と微妙に違って、よりシュッとしているような。でもやっぱり今のイモ様のデザインの方が、モサっとしてる部分も含めて好みです。世界観にも合っているし。当初イモータンの象徴だった「赤」は、ひょっとするとドゥーフ・ウォリアーに引き継がれたのかな…とか妄想してます。権力ではなく音楽や芸術を象徴する、別の意味でスペシャルな色として。
  • 主役級のキャラだけではなく、脇のキャラ情報も大変充実しており、より世界観が深まりますね。ややマニアックながら、個人的に「ミス・ギディ」というキャラが妙に気になってまして。5人の妻の脱走に手を貸してジョーを裏切り、それどころかジョーに銃を向けてぶっ放した、体にびっしりと刺青の入ったおばあちゃん。この人、当然あの謀反の後に殺されたものと思っていたのですが、よく見るとジョーの息子の死産のシーンとかで普通に再登場してるんですよね。
  • で、本書に色々と彼女の背景が書いてあったんですが、これが大変に興味深かったです。ミス・ギディというのは5人の妻たちの教育係なんですね。この世界では基本的に「知性」というものに何の関心も払われていないため、「本」なんてほとんどない。だからミス・ギディみたいに知性をもつ人たちは、自分の身体に刺青を入れることで「知識=世界の歴史」を保存しているとのこと。まさに「歩く百科事典」ですね。ドゥーフ・ウォリアーがこの世界の「音楽(芸術)」を象徴しているように、ミス・ギディは「知」を象徴する存在なんだと思います。
  • ミス・ギディが妻たちの脱走を助けたことは、イモータン・ジョーにしてみれば絶対に許せない裏切り行為だったでしょうし、彼女はその場で即座に殺されてもおかしくなかったはず。でも、とりあえずジョーは彼女を生かしておいた。そこがなんだか面白いんですよね。ジョーのような悪人が、これほど手ひどく裏切られてもなお、「知」を司る人間を簡単には殺せなかったという事実に、何か作り手のメッセージを感じます。狂気と暴力の世界にあってもなお、(不気味ですらあるような)強い力を持ち続ける「知」。その表象としてのミス・ギディの存在に、ジョージ・ミラー監督の「知性」に対する深い信頼(と畏怖)を見て取ることができるように思います。
  • まあ、「ばーさんナメてっと死ぬぞオラー!」っていうのはミラー監督が一貫してずっと言い続けていることなんですよね。初代「マッドマックス」でも、邪悪なラスボスに対して最初に銃を向けたのは、「4」と同様「おばあさん」でした(追記:そしてラスボスを演じる俳優はどっちもヒュー・キース=バーン!)。
  • もちろん「4」のおばあさんといえば、超かっこいい「鉄馬の女たち」も大活躍。本書でも脚本家のニコ・ラソウリスが、「この世界に少しでも健全な精神をもたらす者がいるとしたら、それは鉄馬の女たちしかいない」と宣言していました。長い時間を生きた人間そのものこそが、「知」であり「力」であるというような一貫した思想が作り手たちにあるのでしょう。
  • おばあさんトークが長くなりすぎたので、今日はこの辺で…。とにかく素晴らしい本でした。またマッドマックス語りをするときに、ちょくちょくこの『メイキング・オブ・マッドマックス』から引用したいと思います。本があってよかった。刺青もしなくて済むし(?)。ではまた。