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沼の見える街

ぬまがさのブログです。おもに映画の感想やイラストを描いたりしています。

デレマス23話みた…!

  • アイドルマスター シンデレラガールズ』の第23話、素晴らしかった。終盤で卯月がついに「崩壊」してしまうところが本当に凄かった。この展開自体は予想していたはずなのだが、丁寧かつ周到な演出と、声優さんの見事な演技によって、強烈に心を揺さぶる場面になっていた。「やられた…!」という感じ。
  • コツコツと積み上げてきた島村卯月というキャラクターを、文字通り一気に「崩壊」させる。口調を一転させた「こわい」「こわいよ…」という静かな独白から始まり、「私には何もない」「笑顔なんて 笑うなんて誰にでもできるもん」という、今までの自分を完全否定するような、悲痛な叫びに向かっていく。この緊迫感と、切実に伝わってくる卯月の想い…。素晴らしい。
  • とても悲しい場面なのだが、その一方で大きなカタルシスもあった。なぜかというと、もちろんお話的には「卯月がついに本音を言えた」からなのだが、もう少しメタな話をすると、「記号が人間性を獲得した瞬間」を目の当たりにできたからだと私は思う。「記号」とか言って、作り手にもファンの人にも失礼極まりないんだけど、でも本当に、リスペクトを込めてそう思う。
  • この『アイマス』という作品(と言ってもデレマスしか見てないんだけど)、やっぱり元がゲームということもあって、どうしたってキャラが「記号的」になりがちなのは、もう仕方がないといえば仕方ない。同じく女の子がいっぱい出てくる群像劇アニメと言っても、昨日話題に挙げた『響け!ユーフォアニアム』みたいにはいかないだろう。そもそもアニメとして期待されていることがまったく違うだろうし、キャラの設定ひとつとってみても、『ユーフォ』のように「リアリズム」や「周囲との関係性」を重視した、実在感のある複雑な人物を作り出すことは、なかなか難しい。
  • だから誤解を恐れずに言えば、そもそも『デレマス』のアイドル達も、一言で(そして一枚絵で)表せるような「属性」を寄せ集めた、「記号的」なキャラクター達として作られている。いつも笑顔の頑張り屋、クールな黒髪ロング、溌剌とした元気っ子、猫耳、ロック、ニート、ロシア人、カリスマJK、その他たくさん、言っちゃえば薄っぺらい「属性」を担わされて集められた少女たち。本来ならば単なる一過性の「記号」として消費されていくだけの登場人物。
  • それでも本作の作り手は、それだけでは良しとしなかった。何とかしてこの「記号的」な子達に、「リアリティ」や「実在感」を出せないものかと毎回のように葛藤していた。そもそもが無茶な試みなので、全てがうまくいったわけではないんだろうけど、「作り手」が「記号的なキャラ」を何とか膨らませようと頑張るこの姿勢は、このアニメに一種独特の緊張感と面白さを生んでいたように思う(そのあたり、二次創作が盛り上がる理由でもある気がする)。
  • そしてその創意工夫が今回の、島村卯月の「崩壊」によって、見事に実を結んだのではないだろうか。まるで砂の城のようにコツコツと作り上げた、島村卯月という「記号的」なキャラクター像を、ここにきて一気に崩壊させることで、その下からゾッとするほどの実在感をもった「人間」が顔を出した。これが先述した「記号が人間性を獲得した瞬間」の意味で、個人的にはその流れそのものにすごくグッときてしまったのだった。なんかこう、「記号に命を吹き込むのがアニメーションの仕事だろうが!」というような、プロの矜持に触れた気がして。
  • ああ、もっと書きたいんだけど、『アントマン』も見たし、今日は疲れたのでおしまいです…。とにかくあの場面は素晴らしいの一言でした(1500字くらい書いてるけど)。そのうち「島村卯月論」とか書いてみたいくらいです。…でもその前に「黄前久美子論」を書かないとな…。いやその前に「叛逆」…。なせばなる(雑なまとめ)。ではまた。