沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

「モネ展」行った。

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クロード・モネ『小舟』(1887年)

  • 東京都美術館の「モネ展」に行ってきた。このところ美術展とか全然行けてなかったので、「なんかやってないかな〜」と探した結果、本展が12月13日で終わっちゃうとのことだったので、滑り込みで行くことにしたのだった。
  • 上野の森美術館の「蒼樹うめ展」と開催日が重なったからか、「モネ展は10分待ちなのに蒼樹うめ展は3時間待ちだってよ!」みたいなノリで揶揄されていた気がするけども、なかなかどうしてモネ展だって大変に混んでいた。待ち時間はなかったけど、場内は大混雑で絵が見られないくらい。
  • 東京都美術館の特別展示スペースは大きく3つのエリアに分かれていて、往々にして一つ目のエリアがめちゃくちゃ混む。だからもう、あきらめて先に進むことにした。肝心の目玉作品である『印象 日の出』を見逃した気がするが…まあ…いいか…。
  • おなじみの睡蓮の絵も良かったのだが、いちばん好きだった作品は『小舟』という絵だった(上の絵)。タイトルは「小舟」だけど、舟は右上の方にササッと描かれているだけで、どう考えてもモネが描きたかったであろうものは、中央の水面をびっっっしりと埋め尽くすヌルヌルしていそうな「藻」! 描き込みの密度がすごくて、おぞましさすら感じさせる、吸い込まれそうな深い緑だった。モネが「描いていて発狂しそうだった」と言っているのも頷ける。
  • 優雅なイメージのある『睡蓮』の連作だけど、同じ「水」と「植物」を描いているはずなのに、こうもグロテスクな一枚が紛れ込んでるっていうのがなんか好き。モネのダークサイドというか、暗さや陰湿さや偏執狂的な側面を感じ取ることができて…。
  • 他には、晩年もう目がほとんど見えない中で描いた風景画が、期せずしてどんどん溶解していって、ジャクソン・ポロックとか、ほとんど20世紀の抽象絵画みたいなタッチに近づいていく過程とかも面白かった。個人的な推察だけど、同じ風景を描き続けていく中で、単純に「白内障で目が悪くなったから」では片付けられない意識の変化がモネに生じたんじゃないかな〜という気はする。
  • たとえば、ビンやツボといった取るに足らない静物をずっと描き続けたイタリアの画家モランディが、晩年ああいう感じの境地に至るんだけど、モランディとモネにはよく似た変化が起こったんじゃないかと思う。(そういえばモランディはモネをリスペクトしていたっけな。)
  • モネの晩年の作品で思い出したのが、ニコラ・ド・スタールという画家の描く絵。ちなみに『岸辺露伴は動かない』の「六壁坂」という話の中で、全財産を失った露伴がたったひとつド・スタールの画集だけは手離さなかった、というエピソードがあった。(というか私はそれでド・スタールの存在を知った。)そのド・スタールを賞賛して、露伴が「抽象画と風景画のギリギリのせめぎ合いが泣けるんだ」と言っていたんだけど、モネの最後の方のドロドロに溶け合うような風景画にも当てはまる言葉だなあと思った。「泣け」はしなかったけど、なんかグッとくるんですよね。「見えるとか見えないとかもう関係ないんだよ」ってモネが言っている気がして。とても興味深かった。
  • あ、以下は例によって不毛な文句なんですけど…。なんとなく「モネ展」の感想をネットで検索していたら、あるブログに「モネは日本では妙にありがたがられているが、ああいう輪郭が曖昧な絵はダメだ。特に晩年の作品は全然ダメだ」みたいなことが書いてありまして。「お、おう…(よくそんな大胆なこと言えるな)」と思って続きを読んでいたら、「なぜならおれは歴史画などの、輪郭がちゃんとしてる絵が好きだからだ!」とかのたまってまして…。知らねーーーーよ! お前の好みなんか!!
  • …いや、そんだけなんですけど…。理不尽すぎる批評(というか単なるイチャモン)が溢れかえっているのって、映画もアニメも美術もおんなじだなって再確認しました…。真面目に相手するだけ不毛っすね。ちなみに帰りは上野動物園に寄って、ゴリラやゾウやワニやアイアイを見ました。特にゾウがよかった。ゾウのデザインすごいよな〜…。そりゃインド人も神様にするわ、と思った。あと両生類爬虫類館は冬でもあったかいのでオススメです。ワニをゆっくり眺めましょう。おしまい。