沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

マッドマックス・インテリジェンス

  • 今日、ちょっと思ったことをツイートをしたら、けっこう大きな反応がありました。内容は次のようなこと。

  • これだけ読んでもよくわからないと思うんですが、『オデッセイ』の感想ツイートでいっぱいRTされてたやつがありまして。その中で「マッドマックスで筋肉と殺意があれば勝てると刷り込まれた私たちに、オデッセイは知性の重要性を教えてくれる」みたいなことが言われてたんですよね。
  • そんでまぁ、「イヤそれは違うだろう」と私は感じたので、上のような発言をしてみました。作り手が知的なのは言うまでもないことだし、登場人物たちも一人残らず最善を尽くしていて判断力に富んでいるし、あらゆる意味で「知性」に満ちた映画だろうと。『オデッセイ』は私も大変好きな作品ですが、マッドマックスを引き合いに出してディスらないでくれよな、と感じたんですよね。そしたら似たような違和感を覚えていた人たちがけっこういたみたいで、わりと大きな反響がありました。
  • ただ反応のほとんどは好意的なものだったと思うんですが、中には案の定「ケッ、な〜にが知性だこの野郎」みたいなことを(間接的にですが)言ってくる人もいました。ちなみに元のツイートの発言主さんにも捕捉されて嫌味を言われたりもしたのですが、まぁそれはオアイコなので良いとして、やっぱり『マッドマックスFR』ほどの作品であっても「知的」に語ることは「気取ってる」みたいに思われてしまうことが多いんですかね。そういう風潮があるんだとしたら、ちょっと息苦しいのですが。
  • もちろん「何も考えずに楽しむ」とか「シンプルに面白がる」とかそういうことは本当に大切で、作り手もみんなそこを目指しているんだと思います。でもやっぱりそれ以上のことを作品から汲み取ろうとしてアレコレ考える行為もまた「シンプルに楽しむ」ことと同じくらい大切なことで、そちらが封じられるのは「豊か」とは言い難いですよね。
  • 特に『マッドマックスFR』に関して言えば、これが「知的」な作品であることは疑いようがないですよ。現代の社会と対応したメッセージ性やテーマ性が明らかに存在する。「そんなものはない、何も考えずに見ればいいだけのバカ映画だ」という評価は、明らかに間違っていると思います。
  • 映画やアニメに限らず、エンタメに対して小難しい理屈をこねられると微妙にイラっとするみたいな気持ちはよくわかるのですが、そういう営みを通じてしか汲み取れないものはやはり確実に存在すると思うのです。そんなわけで私も、気楽に作品を楽しむと同時に、今後も面倒くさい事を延々と、そして堂々と考えていきたいなあと感じました。好きなことに対しては「面倒くさい」人間でありたいです。
  • ちなみにツイートの中で引用した「この世界でお笑いぐさからいちばん遠いところにあるもの」というフレーズは、スティーブン・キングの小説『11/22/64』にでてきます。1964年にタイムスリップした教師が、ある生徒に役者としての才能を見出し、彼の演技を賞賛する際に使った言葉なんですが、この言い回しが私は本当に大好きで、一度使ってみたかったんですよね。芸術に対するこれ以上の褒め言葉はないとすら思います。まさに稀代の傑作『マッドマックスFR』にふさわしいフレーズです。こういう言い回しがサラッと出てくるあたり、さすがキングというか、荒木飛呂彦の師匠だけあるなと感じますね(?)。
  • 他にも色々書こうとおもったのですが、ちょっともう眠くなってきたので終わります。継続にはこういう適当さが大切だと思う(雑な言い訳)。