沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

『ブレックファスト・クラブ』観た。

  • ジョン・ヒューズ監督の『ブレックファスト・クラブ』(1986)をDVDで観ました。しみじみ素晴らしかったです。
  • なんでこんなジョージ・ミラーが撮ったわけでもない(←?)昔の映画をわざわざ見ているかというと、長谷川町蔵山崎まどかの共著『ヤング・アダルトU.S.A.』を最近読んだからです。この本が非常に面白くてですね…。
  • 「アメリカの若者文化」を二人が縦横無尽に語り尽くすという内容なんですが、両人とも物凄い博覧強記で有名な論者なので、(ポップでキュートなデザインで読みやすい一方で)非常に情報量の多い濃密な一冊にもなっているのです。
  • そしてこの本のどアタマで、アメリカの若者文化を語る上で「絶対に外せない一本」としてあげられている最重要映画が、ジョン・ヒューズの『ブレックファスト・クラブ』というわけです。5人の高校生男女が登場するユーモアたっぷりの映画なんですが、扱ってるテーマは意外とけっこう重くて、いわゆる「スクール・カースト」を初めて正面から描いた作品なんですね。
  • 日本でも『桐島、部活やめるってよ』で鮮やかに描写されたスクール・カーストですが、アメリカの高校では日本よりもさらにハッキリと、生徒たちの間に「階級」が存在するようなのです。
  • まず、体育会系の男子「ジョックス」や、セレブ系の女子「クイーン」などが俗に言う「リア充」階級で、学園のトップに君臨しています。その次にくるのが優等生の「プレップ」、不良の「バッドボーイ」あたり。そして学校生活の最下層に位置するのが、ガリ勉の「ブレイン」やオタクの「ギーク」、変わり者の「ゴス」や「パンクス」などです。
  • この「最下層」の子たちが主役を張り、周囲の価値観の逆転をはかるというストーリーはアメリカ青春映画の王道ですが、そういう物語がカタルシスをもたらす背景には、現実の学校における確固たる「階級」があるんですね。そこに問題意識を置いて、まだ子どもの時から「階級差別」に晒される人々をちゃんと描き出したという点で、『ブレックファスト・クラブ』は非常に偉大な映画なのです。
  • ざっくりあらすじです。上で説明した「階級」の名前に従って言うと、ジョックス、クイーン、バッドボーイ、ブレイン、ゴスの5人の生徒が、土曜日に「補習」を受けさせられる羽目になり、朝っぱらから誰もいない学校に集められます。「階級」の違う5人は普段から全く接点がないので、ギスギスした態度で仕方なく課題をこなしていくんですが、そこで起こるトラブルや交わされるやり取りの中で、少しずつお互いに抱く気持ちが変化していくんですね。
  • たとえばスポーツ奨学生を狙っている「ジョックス」のアンドリューと、いつもひとりぼっちのド変人「ゴス」のアリソン。本来なら何の関わりもなかったであろう二人ですが、ふとした会話からどちらも「家庭」の悩みを抱えていることに気づきます。
  • また、ことあるごとに他人を馬鹿にしていて、みんなから嫌われている「バッドボーイ」のジョン。そんな彼が抱えていた「絶望」や「孤独」を、他の4人はだんだん知っていくことになります。
  • さらに学内で最も遠い「階級」の二人である、「クイーン」のクレアと「ブレイン」のブライアン。いけすかない自信過剰なクレアと、勉強ばかりしているガリ勉のブライアンですが、この二人もまた、自分たちがよく似た種類の抑圧に晒されていたことに気づいていく。
  • 「あんたに私のプレッシャーなんてわかるわけないのよ」と突き放すクレアに、大人しいブライアンが「…わからない?…僕にプレッシャーがわからないだと?……ファック・ユー!!」と激昂して返すくだりなど、まさに本作を象徴する名シーンだと思います。
  • このように『ブレックファスト・クラブ』とは、学校内の「階級」を通じて「格差」という普遍的な問題をシビアに描き出しながらも、立場の異なる「他者」のことを想像し、思いやることの大切さを表現した、真摯で爽やかな映画なのです。『ヤング・アダルトU.S.A.』の中で「永遠の名作」と紹介されていただけのことはあります。2016年に見ても全く古びていない。『桐島』好きも必見だと思いますよ。
  • 今日は眠いのでおしまいです…。今週借りたDVD・第4の刺客『ポエトリー/アグネスの詩』もめちゃくちゃシビアで素晴らしい映画だったので、いずれ感想を書きたい。では。