沼の見える街

ぬまがさのブログです。おもに映画の感想やイラストを描いたりしています。

図解「夢みる動物たち」

「動物は夢を見るの?」という疑問の答えについて、現状わかっていることを図解しました。地球の動物は例外なく眠りますが、睡眠中の脳が引き起こす「夢」もまた、人間だけの特権ではないようです。さらに最新の研究で、意外な動物も「夢を見る」可能性が浮上…!?


<今回の主な参考文献・参考サイトなど>

『睡眠の科学・改訂新版 なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか』 (ブルーバックス)   櫻井 武 

https://www.amazon.co.jp/dp/4065020263/ref=cm_sw_r_tw_dp_B9HA4TCWG5CJD1KW2WPY?_encoding=UTF8&psc=1 www.amazon.co.jp

『睡眠こそ最強の解決策である』   マシュー・ウォーカー

www.amazon.co.jp

www.smithsonianmag.com

natgeo.nikkeibp.co.jp

www.vice.com

www.bbc.com

 

1ページ目のネコとネズミの夢に使ってみたのはこちらの画像生成AI。不条理な悪夢めいた絵が欲しかったので試してみたのだが、良い感じに出力されて楽しかった。というか不条理な悪夢以外の使い方がまだちょっと思いつかないのだが…。いつかAIに仕事を奪われるかもしれないが、今じゃなさそうだ(?)huggingface.co

 

動物映画として読み解く『NOPE/ノープ』

 まさかのわくわく動物ムービー! ジョーダン・ピール監督の最新作『NOPE/ノープ』、今年ベスト級に好きな映画であると同時に、ここまで動物フィーチャーな作品に仕上がっているとは…と動物クラスタとしては嬉しい驚きがあった。ピールの過去作『ゲット・アウト』『アス』と同様、ホラーの形式をとったエンタメでありながら、やはり人種差別や格差や搾取の問題が背景にある作品なんだけど、それを動物のモチーフと密接に絡めてくる手腕が今回は特に見事だった。

 『NOPE』は奇妙な感じに章が区切られている作品で、各チャプターには、「ゴースト」「ラッキー」「クローバー」「ゴーディ」そして「ジーン ジャケット(Gジャン)」というタイトルがつけられている。これらは全て本作における「動物」の名前だというのも、『NOPE』の動物フィーチャーっぷりを表している。

 まぁ実は『ゲット・アウト』の鹿(クライマックスの超展開が忘れられない)や『アス』のウサギ(ハサミと形が似ているところに目をつけたのかな)など、ピール監督は毎回必ず動物を象徴的なモチーフとして使ってきたのだが、『NOPE/ノープ』では動物たちがいよいよメインテーマとがっつり関わってきたなと感慨深いので、各章のタイトルにもなってる主に3種類(?)の「動物」について(Twitterでも散々語った考察のまとめ的な意味でも)書いていきたい。

 

ーーー注意ーーー

まごうことなきネタバレなので鑑賞後に読んでね。

ーーー注意ーーー

 

馬(ゴースト、ラッキー、クローバー他)

 馬は地球で最も「映画的」な動物と言えるかもしれない。そのスクリーン映えする体躯と、大地を疾走する運動能力、そして人間との信頼関係の築きやすさによって、馬は西部劇を筆頭に何度もスクリーンの上に登場してきた。本作の主人公OJ(ダニエル・カルーヤ)は、そんな映画界に馬を適切に扱ってもらうための調教師である。

 もっと言えば、馬は映画の歴史の「原点」のような動物でもある。というのも、OJの妹・エメラルド(キキ・パーマー)が「史上初の映画」として説明するように、写真家エドワード・マイブリッジが1870〜80年代に「運動の研究」として記録した、「走る馬」の連続写真こそ、映画の最も原初的な形だったと考えられるからだ。

 しかし、記録した写真家の名前と違い、写真の馬に乗っている騎手については今も全く謎のままであり、名前も残っていない。(この騎手がなんと私たちの先祖なんだよ!と語るエメラルドの言葉は当然っちゃ当然だが本作のフィクション要素である。)連続写真の黒人騎手は、確かに画面に写っている「見られる」存在ではあったが、主体性をもつ人物として、彼自身の名前や人生が記憶されることはなかった。そんな黒人騎手の姿に象徴される、映画界/エンタメ業界において「いないこと」にされてきた者たちの姿に再び光を当てることは、本作の大きなテーマとなっている。

 そして馬も、エンタメ界にとって重宝する動物であることは確かだが、結局のところ人間に都合よく利用されてきた動物にすぎないとも言える。そのことは何より、序盤のCM撮影現場で、OJの忠告を無視して勝手な都合で馬(ラッキー)を振り回そうとする人間たちの姿によく現れている。馬にとっては人間の撮影スケジュールなど知ったことではないのだが、人間もそんな馬の都合に気を配りもしない。万が一無理をさせて、馬が人間を傷つけた場合、馬は(まさに後述するゴーディのように)殺されてしまうかもしれないというのに…。

 ラッキーが取り乱してしまうきっかけとなったアイテムが、人間と馬の間にある「見る/見られる」支配関係を象徴する「鏡」であることも象徴的だ。近年の優れたホラー映画『透明人間』(2020)などと同じく、この「見る/見られる」の一方的な関係が、この世界に厳然として存在する「搾取」の構造の根源であるという問題意識こそが、本作を読み解く上で最も重要なポイントだと思う。

 そんな馬たちが、UFOめいた謎の超常存在(と見せかけて実は捕食動物であると判明した)「Gジャン」に吸い込まれる最初の犠牲者となってしまうのも意味深い。Gジャンは、まるで「搾取」という概念をものすごい物理的に体現したような存在だ。マジで文字通りそのまんまなのでちょっと笑ってしまうのだが…。最悪のルンバかよ。

 さらにGジャンは「見る/見られる」関係における「見る」を象徴する存在でもある。 映画冒頭で、馬が走る連続写真が映し出されるのだが、実はそれを見ていたのはGジャンの「目」だったことが振り返ってわかる作りになっている。つまりGジャンは馬と「目があった=見た」ことで馬を捕食したというわけだ。

 馬がGジャンに飲み込まれるショッキングな光景を目にした(動物の習性に詳しい)OJは、Gジャンと「目を合わせない」ことで脅威をやり過ごそうとする。直接的な言及はないが、ここにOJたちが黒人として日常的に肌で感じている抑圧を読み取ることもできると思う。例えば(BlackLivesMatterで可視化された)警察暴力などの権力からの攻撃を、マイノリティの人々が「目を合わせない=権力に歯向かったり糾弾したりしない」ことでやり過ごしてきた姿勢も連想して、辛い気持ちになった。

 「地球で最も映画的な動物」ではあるが、同時に「エンタメ界で最も利用されてきた動物」とも言える馬たち。そして映画の原初から実は「ずっといた」にもかかわらず、ふさわしい敬意を払われることもなく、マジョリティが作る歴史の影に埋もれてきた黒人たちとその子孫。馬たちとOJ/エメラルド兄妹には、馬と人という種こそ違えど、どこか重なる部分も多い。

 だからこそ、「搾取」と「見る/見られるの支配」を体現するような、絶望的なほど強大な超常生物「Gジャン」に、馬とOJ/エメラルドが覚悟を決めて立ち向かう最終局面が非常に熱い。特にOJとラッキーがまさしく「人馬一体」となって、Gジャンを引きつけるために疾走する瞬間は、超常ホラーであった『NOPE』がまるでジャンルを薙ぎ倒すように「西部劇」へと変貌するような面白さがある。BGM(サントラの"The Run")もクラシックかつストレートにカッコよくて血がたぎる。動物映画としての本作のクライマックスにふさわしい名場面だった。

 余談だが、ちょうど『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』や『ハウス・オブ・ドラゴン』といった有名ファンタジー原作の現代ドラマで、多様性を志したキャストについて人種差別的な非難が沸き起こっている現状を考えても、「フィクションで"いない"ことにされてきた者たちの復権」を高らかに謳うような『NOPE』のクライマックスは、なおのことパワフルに感じられた。

 

チンパンジー(ゴーディ)

 そして、なんといっても本作の白眉はチンパンジーである。主要キャラのひとり・ジュープ(スティーブン・ユァン)が幼い頃に体験した超ド級のトラウマ事件に登場するチンパンジー、その名もゴーディ。実は本作の大筋とは驚くほど関係が薄いのだが、あまりにインパクトが強いため多くの人が"薄い"とは感じなさそうなのも凄い。ゴーディは動物ホラーとしての『NOPE』におけるMVPとも言えるキャラクターだった。

 本作の冒頭は、とあるホームコメディ調の会話の音声から幕を開ける。(制作の「モンキーパウ・プロダクションズ」の不気味なロゴアニメの出方が絶妙すぎるっていう…。)最初は和やかだった音声が、ある瞬間をきっかけに混乱と叫び声に変わり、「何かとんでもないことが起こった」と観客に予感させる。画面がパッと映ると、そこには倒れた人間と、口と手が血まみれになったチンパンジーの姿が…。どうやらドラマの撮影中に、チンパンジーがとんでもない事故を起こしてしまった…という戦慄の事態が明らかになる。

 そのドラマとは、ゴーディに"かわいいチンパンジー"の役を演じさせたホームコメディ『ゴーディ 家に帰る』。動物倫理や動物福祉の考え方がまだ進んでいなかった時代にいかにもありそうな劇中劇ドラマと言える。チンパンジーに対する動物学的な理解が不十分なまま、人間に都合のよい「かわいくて面白おかしい、ちょっとバカな存在」としてエンタメ業界はチンパンジー(含む動物たち)を利用してきたのだ。

(↑9/10追記:ジョーダン・ピール監督がアップした『ゴーディ 家に帰る』の架空の予告編。どんなドラマだったか雰囲気が掴めて良い。ノイズが不穏すぎる)

 現実にはチンパンジーはとても複雑な内面をもった動物で、心優しい一面を見せてくれることもあれば、暴力で敵を抹殺することもあり、接する際は人間の方も細心の注意を払わないといけないのだが、視聴者にウケればいいエンタメ界ではそんなことはお構いなし。『ゴーディ 家に帰る』の製作陣と出演者たちは、そのツケを最悪の形で支払うことになったわけだ。

 とはいえ本作のゴーディ事件を、日本でも「外国の話」では片づけられない。日本でもTV番組「志村どうぶつ園」でのチンパンジーの扱われ方に問題が多いのではないか…という専門家からの指摘があった(『志村どうぶつ園』VTRでパンくんは「恐怖に震えて…」霊長類学者が警告! | 週刊女性PRIME)らしいし、実際に女性を襲撃するという痛ましい事故も起きた。本来は飼育に適さない野生動物を、かわいいからといって無理やり飼ってみたり、「ふれあい」の美名のもとにストレスを与え続けたり、生きたアートなどと称して劣悪な飼育設備に閉じ込めたり、そんな話は身近でも事欠かない…。

 アメリカでも日本でも共通するのは、人間が動物を自分の都合で勝手な枠組みに押し込めて「消費」しようとする態度である。その「枠」は物理的な意味でもそうだし、その感情を勝手に決めつけることも「枠に押し込める」姿勢のひとつだ。身近な例では動物番組で「ボクは○○なんでちゅ!」的な幼稚なアテレコを動物の行動に被せてみたりとか、人間が動物を見下しつつその"心"を勝手に決めつけるという傲慢な構図は、さまざまな場所で目に入る(まぁ私の本も動物をしょっちゅう擬人化してるので広義ではそこに含まれそうだが…)。ゆえに『NOPE』のゴーディの場面で、そうした構図が最も恐ろしい形で破壊されるという展開は、戦慄すると同時にどこか痛快でもあった。

 本作のチンパンジーは、人間社会における差別や搾取や消費の構造と重ね合わせたメタファーとして見ることもできる。アジア系であるジュープだけが、奇跡的にゴーディに襲われることなく生き残ったという事件の顛末に関しては、その観点からも解釈が可能だ。チンパンジー含む「猿」が、黄色人種を嘲るワードとして使われがちだった…という差別の歴史背景を考えると、ジュープとゴーディの関係性に特別な意味合いが与えられることには必然性もある(アジア系とチンパンジーをそのように括ること自体が人種差別的ではないか、という指摘もありうるかなと思うけど)。

 解釈は分かれるだろうが、アメリカの白人社会の中でアジア系の子役として肩身の狭い思いをしてきたジュープは、とりわけゴーディに親しみと愛着を感じていて、それをゴーディの方も感じ取っていた、つまりジュープとゴーディの間には本当に種を超えた「つながり」があったんじゃないか、と個人的には想像してる。ジュープとゴーディが拳を突き合わせそうになる場面も(劇中ではポスターで提示されるのみだが、ドラマ内でお約束的に行っていたアクション)単なる条件反射やゴーディの気まぐれではなく、ド修羅場の中にあっても"2人"の結びつきが消えなかった証拠ではないか…と思いたい。

 一方で「ジュープが襲われなかったのは単にテーブルクロスがゴーディの恐怖を和らげたからに過ぎず、別に心が通い合ったわけではないのだが、それをジュープが"奇跡"だと勘違いしてしまった…」というわりとドライな解釈も見かけた。先述のように「見る/見られる」関係がめちゃ重要な概念である本作の見方としては、それはそれでなるほどな〜と思った。

 ただ、拙著『ゆかいないきもの超図鑑』でも語ったように(https://twitter.com/numagasa/status/1567710146754916352?s=20&t=urCetcBwVq67IyithmcOaQ)、チンパンジーには暴力性と鏡合わせとも言える繊細な共感能力がある。出演者の中でも自分と同じくらいの体格であるジュープに対してだけは、実際に親しみを覚えていて、パニック&怒りの状態にあっても彼のことを傷つけようとはしなかった、と考えることは動物学的にも十分に現実的だと思う。

 ゴーディが暴走する瞬間もけっこう考えられていて、意味もなく暴れ出したとかではなく、風船が「パン!」と割れる銃声のような音がパニックを引き起こしたという経緯も描かれており、多分それまでにゴーディが受けていた抑圧やストレスの限界容量に達してしまったんじゃないか…と。破裂音に過剰反応したのは、もしかすると自然界で捕獲される時に親を銃殺されたとか、そういうトラウマ的な背景もあったりするのかなと空想したりもした(最悪だけど類人猿の密猟ではよくあることなので…)。

 ジュープとゴーディの関係は様々な解釈が可能だが、何もかもが欺瞞と偽善だらけのエンタメ業界で、それでもジュープとゴーディの間には真のつながりが存在した、それなのに……と考えた方があのシーンの残酷さと美しさが増すと思うので、私としてはそっちの解釈をとりたい。

 ただ「奇跡」についてさらに掘り下げると、ジュープの何よりの悲劇は、(確かにあの状況では"奇跡的"とはいえ)実は科学的/動物学的に説明可能だったゴーディとの精神的なつながりを、いわゆる超常的な「奇跡」だと思い込んでしまったことなのかもしれないな…と思った。その結果、人間の考える「奇跡」観など知ったことじゃなく、科学も理屈もあったものじゃない、真に超常的な存在・Gジャンといざ遭遇してしまった時にはジュープはなすすべもない。結局はゴーディとの関係に超常的な意味合いをもたせてしまった、あの垂直に立った"靴"こそが「最悪の奇跡」ということなのか…と考えると改めてゾッとしてくる。(余談だがあの"靴"のショット、『NOPE』を見たばかりのアリ・アスターが第一声で「あの靴ヤバいね」とピール監督を褒め称えたらしく、真っ先にそこを語るあたりがマジでアリ・アスターって感じである。)

 ジュープのゴーディに対する("奇跡"によって歪められたとも言える)いびつな思いと対照的に、主人公OJの馬に対する姿勢は一貫して科学的・理性的だったことも重要だと思う。そのアプローチの違いは動物に対するリスペクトや良心の差としても現れる。結局のところジュープは"奇跡"を追い求めるあまり、ショーで馬を生贄として扱ったりと、まさに『ゴーディ 家に帰る』の製作陣と同じように、動物を利用する人間に成り果ててしまったのだから…。ジュープが真に信じるべきは超常的な"奇跡”なんかではなく、動物学的にも筋の通った、ゴーディとの精神的つながりだったのではないか…と思うとやりきれない。

 なおゴーディ関連のシークエンス、本当に今年ベスト級の鮮烈な場面であることに異論はないのだが、あまりに強烈であるがゆえに、「チンパンジー=凶暴で恐ろしい動物」という偏ったイメージを多くの観客に植え付けてしまわないだろうか…と動物好きとして懸念する部分は正直ある。それは動物倫理の問題を巧妙に作劇へ組み込んだ本作の望むところではないだろうとも思う。なので(手前味噌ながら)Twitterでも紹介したチンパンジー図解とかを見て、チンパンジー観に対するバランスを取ってもらえれば幸いだ。残酷な側面こそがその動物の「本性」だ、とは決して思ってほしくないので。

 

Gジャン(ジーン ジャケット)

 もうすでに前の2項目で散々言及してしまったが、最後にわくわく動物映画『NOPE』のラスボス動物こと「Gジャン」の話をして締めくくりたい。やはり「空飛ぶ円盤と思いきや、実は円盤そのものが人喰い巨大生物だった」という発想は素晴らしいの一言である。B級ホラー精神ここに極まれり!なアホといえばアホな発想だが、多くの人が「UFOを操っている存在は何なのか」という視点から本作を追っていたと思うので、それ自体が生物というのは予想外の不意打ちだったはずだ。チンパンジーの(実は全く本筋に関係ない)サブプロットがあまりに強烈でちょっとGジャンが割を食ってる気もしたが、Gジャン自体も「思いついた時点で勝ち」レベルの見事なアイディアと思う。

 あと人喰い巨大UFO動物を「Gジャン」と名づけるってどういうセンスなんだよと驚愕してしまうが、エメラルドが子供の時にもらうことを約束された馬の名前から取ったらしい。それはそれで適当でスゴイなとなるが、この辺の肩の力抜けた感じはまさにコメディ出身のジョーダン・ピール節かも。(9/15追記:2回目を観たら前半で馬の方の「Gジャン」にけっこうしっかり言及していたことに気づき、OJが「Gジャン」ネーミングを提案するシーンはエメラルドへの思いやりも感じて普通にグッときた。)

 Gジャンの造形に関しては、クラゲや鳥の生態を研究する科学者にも監修してもらったらしく、ぶっ飛んだ怪異でありながら、動物ファンの視点からもなかなか興味深い「生物」となっている。確かに円盤モードの時も、そこから触手がぶわっと広がる最終形態もクラゲを連想する形である。(9/15追記:2回目みて、エイの動きや形態も強く想起した。海底の小さい動物を吸い込む捕食方法や、滑らかに山の向こうへ去っていく時の動きなど。)

 また、下に巨大な開口部があってそこから地上の動物をむさぼり食う…という食性からは、たとえばオニヒトデのような水生動物の挙動を連想したりもした。

拙著『ゆかいないきもの㊙︎図鑑』より「オニヒトデ

 そしてGジャンは空中から襲い掛かる擬態生物ならではの、自ら作り出した「雲に隠れる」という擬態能力を持つ。タコやカメレオンのように体表の外見を素早く変える能力なのかなと思うが、アワフキムシやカエルの泡のように隠れるための「雲」っぽいものを作り出す能力があったとしても若干キモくて良いなと思う。

 ただしそのニセ雲が全く動かないという、擬態としては不完全な性質のせいで、地上の人間にその正体がバレてしまうというちょっと間抜けな一面もある。これは(たとえば狩りの際に変幻自在に色と形を変えるミミックオクトパスなどに比べても)Gジャンが「雲が流動する」という地球の環境条件に十分に適応できていない結果とも言えて、Gジャンが地球に"目をつけた"のが比較的最近である証なのかも。確かに「超常的」な存在ではあるが、ラストバトルでも罠に気づかず反射的に食いついてしまうなど、知能は意外と地球の動物とそれほど大きく変わらないと考えられそう。少なくともチンパンジーや馬よりは明らかに知能レベルが低い印象を受けた。

 このGジャンの、貪欲だが知能はそれほど高くないという、生物としての「身も蓋もなさ」がけっこう重要だと思う。それによって逆に、何か高尚な目的や悪意をもつわけではなくエサを捕食したいだけという、この世界(宇宙?)に普遍的にあり続けた「搾取」の身も蓋もない構造を体現する存在としてのGジャンの、絶望的な理不尽さがいっそう増すようにも感じた。

 動物映画としての『NOPE』を語る上で重要となるもうひとりの人物は、老練なカメラマンのホルストマイケル・ウィンコット)である。自分が撮った動物の「決定的瞬間」ビデオを見ている姿からも、彼が動物界の捕食に強いこだわりをもつ人物であることがわかる。そのためホルストが、究極の捕食動物とも言えるGジャンの撮影を決意するという展開もなかなか面白い。OJ/エメラルドと協力して一度はGジャンの撮影に大成功したホルストだったが、Gジャンの被写体としての圧倒的な魅力に蛾のように引き寄せられて、結局は(『ジョーズ』のクイントのように)彼自身も飲み込まれてしまう。この展開は、捕食という最も根源的な「搾取」とも言える世界の構造が、いかに抗いがたい力を持っているかを示してもいると思った。

 だからこそ(繰り返しになるけど)この社会の構造に「搾取」されてきた動物の一種である馬と、マイノリティであるOJ/エメラルド/エンジェルたちが、カメラと共にGジャンに立ち向かうクライマックスは熱く輝くのだった。ここで強調したいのはこの「マイノリティ」に、実はジュープも含まれていることだ。

 『NOPE』の三大"最高の場面"を挙げるなら、ひとつめは「OJがGジャンを引きつけるため馬に乗って爆走する」場面、ふたつめは「ゴーディによる惨殺現場で、なぜか靴が垂直に立っている」場面なのだが、最後に「Gジャン最終形態vs巨大ジュープ風船」の場面を挙げたい。

 エメラルドがGジャンを撃退するためにジュープ風船を宙に打ち上げ、それが西部劇ガンマンの一騎打ちのようにGジャン最終形態と大空で対峙するという、壮大ながら絵面だけ見るとアホっぽくて笑えるシーンでもあるのだが、「いないことにされてきた者たち」が大きなテーマである本作にとって、(西部劇における黒人の復権を謳うかのような)OJと馬の爆走に匹敵するほど胸を熱くする名場面だと思う。

 チンパンジーの項目でも書いたように、ジュープは「奇跡」を信じるあまり迷走し、ゴーディとの関係を科学的な観点から見つめることもできず、挙句の果てに馬をGジャンの生贄にしたりと、動物を利用する側に回ってしまった。この時点でジュープは(OJたちと違って)本作のヒーローになる資格は失ったのだろう。最後は「奇跡」なんぞ知ったこっちゃない巨大生物Gジャンに飲み込まれて退場してしまった。

 それでも、彼もまた(ゴーディと同じように)世界の「搾取」の構造に苦しめられてきた者の1人であり、その巨大な絶望に、彼なりのやり方で抗ってきたのも確かなのだ。だからこそ、まるで自分を飲み込んだGジャンに意趣返しをするかのように、「バン!」と撃つポーズを決める巨大ジュープ風船の場面には心底グッときてしまった。

 元を正せば『ゴーディ 家に帰る』で「風船が割れた」ことが引き金になったゴーディの惨劇に、ジュープは生涯にわたって苦しめられ、執着し続けることになる。だからこそ彼の人生の物語が、ジュープ自身を模した巨大な「風船が割れた」ことで締め括られる、という結末は美しい。

 ジュープの望む「奇跡」は決して起こらなかったが、諦めずに理不尽と闘う人間が打ち上げたあの「風船が割れて」Gジャンが爆発した時、ジュープもまた世界の理不尽に一矢報いたのではないだろうか。

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 長くなったので、この辺でいったん終わります。「動物」という切り口だけでも、考えれば考えるほど色々ネタが出てくるので1万字近くになってしまった。『NOPE』は2本の全く異なる映画がねじり合わされたような、間違いなく異形の作品ではあるが、動物倫理などの社会問題も巧みに織り込んだ、とにかく高濃度なエンタメ作品が劇場で観られただけで感無量である。ありがとうジョーダン・ピール。話題作が目白押しだし映画館でいつまでやってくれるかは不明だが、もう一度くらいIMAXで見たい。(9/15追記:池袋シネマサンシャインIMAXレーザーGTで再見。評判通り最高で、これが『NOPE』の完成形という感じがひしひししました。超埋まってたからロングランするといいなあ)

電子書籍『ぬまがさワタリの いきものガタリ』販売開始しました。

kindleで読める電子書籍『ぬまがさワタリの いきものガタリ』を作ってみました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0B9XQZMZM/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_3GCR6PQS73ET9ESVQTX9

 

主に2022年前半にTwitter等で発表した「いきもの図解」シリーズを中心に、書籍には未収録となっていた図解やイラストなどを1冊にまとめておきました。
本書のために描き下ろしたページや、PIXIV FANBOX特典となっていたオマケ図解の加筆修正ver、ここでしか読めない図解コメンタリーなどボーナスコンテンツもけっこう入っているので、ぜひお気軽にお読みください!

収録図解
カピバラ/タテガミオオカミ/マヌルネコ /「ゾウは忘れない」/ナマケモノ/ピグミーシーホース/「どうぶつ母親事情」/メジロ/エナガ/シギ/オオバン/「動物界の円」/レッサーパンダ/ロシアデスマン/ウクライナの動物たち/スペシャルおまけ
合計69ページ・399円(kindle unlimitedでも読めます)

 

今回の『いきものガタリ』と、3月に出した『ゆかいないきもの超図鑑』で、ここ数年に発表した"いきもの系"の作品はほぼ全てカバーできたかな?と思います。

numagasa.hatenablog.com

https://www.amazon.co.jp/dp/479162887X?tag=atmz-22

(反響が大きかったやつで何にも収録してないなのは新型コロナ図解とモーリシャス図解くらいだろうか…テーマ的にちょっとね。)

 

制作裏話

こういうセルフ出版の電子書籍は前からけっこうやってみたかったというか、そもそも1冊目『図解なんかへんな生きもの』のオファーがくる直前まで、Twitterのまとめ本をkindleで出してみるか〜とか思っていたんですよね。その後(おかげさまで)予想以上のヒットに恵まれたりしたために、結局5冊もの紙の本を出す運びとなり、結局セルフ出版とかする機会なく今に至るのですが…。

ただ過去にTwitterとかにあげた図解やイラストでも、諸事情で本に収録しきれてなかったりしてたやつも意外とあったりして、そういうのをまとめられないかな〜とも思ってました。pixiv fanbox(やめちゃったけど…)の特典イラストとかもせっかく描いたし、今年あげた図解シリーズも混ぜつつ、ミニ本としてまとめてみたという経緯です。

セルフ出版とか別にデータまとめるだけだし楽っしょ、とか舐めてたんですが、表紙のデザインとかも当然自分でやらないといけないので、思った以上に大変で面倒臭かった! 出版社で出す時はデザイナーさんが全部やってくれるからね…ありがたみがわかりました。データ作成はkindle comic creatorというソフトを使って(漫画じゃないけど)、ああでもないこうでもないとがんばって出力しました。

また図解がある程度まとまったら同じような電子書籍を出すか、それともどこかの出版社からまとめて紙の本を出すか、などは未定ですが、今回の反響を見つつ考えたいと思います。

もちろん定価で買ってくださっても嬉しいですが、kindle unlimitedのKENPシステム(ページ数ごとに支払われるやつ)ってどんなもんだろうか…とかも興味あるので、kindle unlimitedに加入してる方は気軽にぐいぐい読んじゃってくれると助かります!(伝え聞く話が本当であれば、たぶん最後まで読むごとに30円くらい?私に入る計算。)YouTubeとかSpotifyみたいな感じは新鮮ではある。

 

図解「動物界の円」

「円」はその美しさや神秘性から、古くから人間に愛されてきた図形です。しかし「円」に近い形が、動物の世界にいきなり"出現"することも…!そんなわけで「動物界の円」のミステリーを図解しました。長いので前後編でお送りします。

 

今回のオススメ参考書籍『自然界に隠された美しい数学』。自然界や動物界になぜか現れる、幾何学的な美しい形に潜む数学のミステリー。今回の「円」図解に巻き貝の螺旋の話とかも本当は入れたかった(ちょっとズレるのでやめたけど)

www.amazon.co.jp

シチメンチョウ猫ぐるぐる事件の動画はこちら。発見当時は「ネコを蘇らせようとしてる?」とか様々な声が飛び交った。

www.youtube.com

 

アマミホシゾラフグのサークルについて詳しく学べる。

nature-and-science.jp

 

宣伝ですが、kindleで読める電子書籍『ぬまがさワタリの いきものガタリ』を作ってみました。 最近の「いきもの図解」シリーズや、書籍未収録だった図解やイラストなどをまとめた電子本(69p/399円)です。描き下ろしページもけっこうあるのでぜひどうぞ! kindle unlimitedでも読めますよ。

www.amazon.co.jp

復讐するはゾウにあり!?ゾウ図解

目には目を、牙には牙を、復讐するはゾウにあり。「ゾウは忘れない」という有名なことわざの通り、ゾウは記憶力に優れた動物で、時には「復讐」をすることもあると囁かれています。陸上動物で最大の体と脳をもつゾウの知性には、どでかい秘密が隠れているようです。

 

<参考文献>

ゾウが教えてくれたこと: ゾウオロジーのすすめ (DOJIN選書) | 入江 尚子 |本 | 通販 | Amazon

ゾウの知られざる知性や記憶力の秘密を語る、ゾウ研究者さんによるゾウ本。読みやすくて面白い。ゾウ調査のエピソードなども。

 

『象にささやく男』

https://www.amazon.co.jp/dp/4806714704/ref=cm_sw_r_tw_dp_BAQDB976M7RB59HVWD41 www.amazon.co.jp

ゾウ保護区をアフリカに作ったが、そこにやってきたゾウたちがめちゃくちゃ扱いづらくて…!?というけっこうな大ピンチから始まる、すごく面白かったゾウ本。図解中でゾウに子ども見せられた動物保護家さんの本です。

 

ディズニー+で見られるゾウのおすすめドキュメンタリー。メイキングもおすすめ。

ディズニーネイチャー/ゾウの足跡を追ってを視聴 | 全編 | Disney+(ディズニープラス)

 

最近の「ゾウの復讐」関連で話題になったニュースだと、インドでアジアゾウが高齢女性を殺し、葬儀にまで現れた…という話がSNSでも広く拡散されていました。ただ、女性を殺したゾウと葬儀に現れたゾウが同じ個体かもけっこう怪しいみたいで、以下の記事でファクトチェックされています。ゾウの記憶力の高さについて疑う余地はないんですけどね。

www.snopes.com

『ウルフウォーカー』特別上映、いろいろ感想

池袋HUMAX『ウルフウォーカー』プレチケ特別上映が昨日無事に終了しました! ご来場の皆さん、ありがとうございましたー。

「ウルフウォーカーの方はこちらです!」という劇場スタッフさんの案内に導かれてシアター2へ向かう(なんかウルフウォーカー本人がいっぱい劇場に集まったみたいで良いすね)。そしてやっぱ劇場ポスターはテンション上がるなあ。

HUMAXの2番シアター、行く前は小さめのスクリーンなのかな?と思っていたんですが、いざ入ってみるとけっこうデカく感じて満足でした。『ウルフウォーカー』は2020年の劇場公開時もわりとミニシアター系でのまぁまぁ小規模公開だったので、なんなら国内では今回が歴代いちばん大きなスクリーンでの上映だった可能性ワンチャンありますね…。善いことをしたぜ(?)

夢のような上映時間はあっという間に過ぎ去り、上映後には拍手が起きて企画者としてもうれしかったです!ちなみにチケットは100枚くらい売れたもよう。上々の販売数とのことで、プレチケさんも喜んでいました。皆さんありがとね〜。

 

つい先日、トリビアとか言いつつ再びオタク語りしまくりな記事を書いたのですが…↓

numagasa.hatenablog.com

今回の上映会でスクリーンで見て、また改めて気づいたことなどあったので、雑感として書き残しておきますね。大きく分けて3つほど。

 

<"漫画"的アート>

パワフルかつ重層的な物語はもちろん、とにかく美術が素晴らしい作品であることはもう100回語っているわけですが、何度見ても新しい発見をもたらしてくれる、改めて凄いアートワークだなと震えてしまいます。

今回特に思ったのは、本作のアートにはとても「漫画的」な面もあるよな〜と。たとえばこの場面。

↑驚いて怯えるロビンの心情を、背景の鬱蒼と生い茂った木々の模様を、まるで漫画の「効果線」のように駆使して表現している。こういう場面が、よく見ると実はたくさんあるんですよね。他にも草や落ち葉や木の根など、自然界にあるものの美しく複雑線や形を、漫画/コミックのお約束的なコードにあわせた「効果線」として巧みに活かしているのが斬新で面白い。それでいてあくまで自然描写と地続きなので、「漫画をオマージュしてみました」的なわざとらしさは皆無。登場人物の心情を視聴者の目と脳に流しこむようにスムーズに伝え、かつ物語が進む方向をダイナミックに指し示しもする、画期的なビジュアル表現だなと。

本作の漫画っぽさは「効果線」にとどまらず、たとえばメーヴが街にひとり乗り込む場面では、画面が漫画のように縦に3分割されて、それぞれで少しずつ違う空間・違う視点が描かれるんですが、その枠線を超えて自由にメーヴが動き回るという非常に目に楽しい作りになっています。手塚治虫の漫画も連想する、枠線を使った遊び的な表現がもたらすメタな楽しさも感じるし、人間の"枠組み"を超えるメーヴの超人的な運動能力をスマートに表現しているとも言える。コミック的なお約束をメタ&フルに活かしまくった同時代の傑作『スパイダーバース』ともリンクする点です。「カートゥーンサルーン」のカートゥーンって元を正せば漫画のことなので、原点回帰したような精神性も感じさせますね。

↑でも書いたような、極めて古典的であり平面性を感じさせるアート表現と、現代的なコミックの効果線や枠線を駆使した最新鋭の表現が見事に同居している本作、やはりビジュアル面に限ってみても相当に奥深く底知れない一作だなと実感しました。小さい画面で見ると見逃しちゃうぜ、な楽しさもいっぱいあるので、やっぱつくづく映画館で観たい作品ですね。善いことをしたわ(2回目)

 

<民衆の描き方>

『ウルフウォーカー』、主人公やオオカミはもちろんなんですが、民衆/大衆といった「普通の人々」の描き方も非常によく考えられていると改めて思いました。下の記事では、「民衆の残酷さ」について詳しく語って、我(とビニタキさん)ながら的を射ているなと自画自賛しつつも、実は今はちょっぴり異なる解釈をしていまして。

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例えば、捕まったモル(母オオカミ)が処刑されそうになり、たまらず飛び出して暴れるメーヴを見て、集まった民衆が大笑いする場面。ここはオオカミに感情移入している観客側としては胸が痛くなるような、人間の愚かさ・残酷さを突きつけられるような場面…でもあるんですが、別の見方もできるなと。

というのもこの「嘲笑」を向けられている矛先には、オオカミたちだけではなく護国卿も含まれている(というか護国卿の反応を見るに、彼は自分への嘲笑だと受け取って、だからこそ焦っていた)。つまり踏み躙られてきたアイルランドの民衆が、歴史の勝者側である(クロムウェルをモデルにした)護国卿を「オオカミと子どもに良いようにされてらあ!」と笑い物にして、ある種の復讐を遂げる場面でもあるんだなと。そう考えると、残酷で醜悪な場面でもあると同時に、一筋縄ではいかない民衆のパワーを表しているシーンにも思えて、見返せば見返すほど「(辛いしムカつくけど)なんか良い場面でもあるな…」と複雑な感情が湧いてきて、今や本作の最も面白い場面のひとつだと思ってます。

前のブログでも書いたように、史実ではアイルランドは1649年にクロムウェルに征服されて以来、平民に対する搾取体制が敷かれ、実質的な植民地となってしまいます。オオカミに象徴される自然への抑圧が強まると同時に、アイルランドの人々への抑圧も激化していくわけです。そうした負の歴史を十分に踏まえた作り手が、アイルランドの民衆をただ愚かに、残酷なだけの存在として描くことはやっぱりないだろうなと今は確信しています。実際、最後には「音楽のように美しい」と民衆がオオカミの遠吠えに耳を澄ませる、感動的なシーンも用意されていますからね。

 

クィアな解釈>

本作が「ガールミーツガールものとして最高!」という言い方は散々してきましたが、もっと直接的に、性的マイノリティのあり方を描いた「クィアな」作品として読み解くことも十分に可能だなと改めて思いました。例えば「ウルフウォーカーになる」ことを「性的マイノリティとしての自分を解放すること」のメタファーとして読み解くのも全然アリだなって。

まず本作における人間社会は(17世紀という時代背景もありますが)家父長制や男女差別、性的な規範にがんじがらめになった世界として描かれます。これは直接的には、女の子である主人公ロビンへの抑圧と、そこからの解放について効果的に描くための舞台装置でもある。同時に、女性への抑圧と性的マイノリティへの抑圧が、今も世界中で常に連動していることを考えれば、本作の人間社会を「性的マイノリティにとって抑圧的な社会」として読み替えることもできる。

本作の登場人物のセクシュアリティは明示されないが、(カトリック的な宗教観が支配する)極めて保守的な世界で、「オオカミに変身すること」をロビンが家族にさえ打ち明けられずに苦しむ姿は、まさに自分の真の姿を周囲に明かせずに辛い思いをしている現実の性的マイノリティの人々を強く想起させます。

だからこそ「オオカミになって森を駆ける」ことを「自分のクィア性を解放させる」という清々しく感動的なシーンとして見ることもできる。あるいはもっと直接的に、メーヴとロビンの間にロマンス的な意味での愛情が芽生える兆しを見出すことも全然可能だな、と繰り返し観て改めて思いました。実際もし2人が異性なら(当初の予定通りボーイミーツガールだったら)たとえ起きた出来事がほぼ同じでも、ごく自然にロマンスとして解釈する人が多そうですからね。

付け加えれば、ロビンの父もまた家父長システムに縛られて苦しみながらも、娘がそこから逸脱する(=檻に入れられる)ことを恐れていたが、ロビンに「私たちは今も檻の中にいる」と告げられたことで、世界の歪さに気づく。そして彼自身もウルフウォーカーになることで、自分を苦しめていた支配から解放される…といったプロセスをしっかり描いているんですよね。「動物の解放」「女性の解放」「性的マイノリティの解放」…と様々な「解放」の解釈が可能な作品であることはすでに語った通りですが、「男性の解放」を描く映画としての意義も大いにあるなと思います。

他に有名どころだと『アナと雪の女王』のエルサは多くの観客にクィア的なキャラ解釈をされているし、最近だとピクサーの『あの夏のルカ』も同様の読み解きがされているし、「変身もの」「能力もの」をクィア解釈することはある種の王道とも言える。ただ『ウルフウォーカー』は家父長制に支配された人間社会の抑圧性をきっちり描いている点で、さらに一段進んだ解釈ができるよなと改めて思いました。

辛い余談ですが、ちょうど上映会のその日にアメリカで「ローvsウェイド」判決が覆されて、女性の自己決定権が半世紀くらい後退する運びとなりました(日本も変に追随しそうでマジでイヤだな)。これと連動して性的マイノリティの権利などもさらなる危機に陥ることが予想され、暗澹たる気持ちにもなるんですが、だからこそ心あるクリエイターは社会の負の部分をも鋭く見据えて、『ウルフウォーカー』のような素晴らしい作品を日々作っているんだろうなとも思います。ゆえに応援したくなるし、ぜひ色々な立場の人が観て、様々な形でエンパワメントされてくれることを、本作の大ファンとしては願うばかりです。

 

まだまだ無限に語れるんですが、とりあえずおしまい。昨日出た「ケルト3部作」ブルーレイBOXも豪華ですごいのでチェック!

midship.base.shop

なお『ウルフウォーカー』を現状いちばん気軽に観られる手段はAppleTV+に入っちゃうことです。月700円とかでサブスクとしては安いし、クオリティコントロールが死ぬほど厳しいためか他のドラマとかも異様なほど面白いので加入して損はないです。みよう(直球)

tv.apple.com

知ると楽しい!『ウルフウォーカー』トリビア

傑作アニメ映画『ウルフウォーカー』のプレチケ上映会を(私セレクトで)企画したんですが、当日(6/24)が目前に迫ってきました!(ちなみにプレチケとは劇場の1スクリーンを貸し切って好きな映画を見ようぜという映画ファンによる映画ファンのためのイベントです。まだチケット売ってるので興味ある方はどうぞ。)

premium-ticket.filmarks.com

奇しくも同じ日に(初ディスク化となる『ウルフウォーカー』含む)カートゥーンサルーンケルト3部作のBlu-rayBOXも発売されるんですよ。超めでたい〜。わくわく。

midship.base.shop

『ウルフウォーカー』への熱い思いやテーマ全体への考察は、こちらの対談記事で好き放題に語りまくりましたのでお時間あれば読んでみてね。

cinema.ne.jp

ちなみに本作は(人生ベスト級映画なので当然ですが)公開年である2020年の私的ベスト10の堂々1位に輝きました。

numagasa.hatenablog.com

 

そんなわけで、『ウルフウォーカー』を観る前に、もしくは観た後で、知ればもっと楽しめるかも?な小ネタや豆知識などをいくつか紹介します。(決定的なネタバレはないと思いますが、ラストに少し触れているので一応ご注意を。)

↑参照したアートブック『The Art of Wolfwalkers』。英語オンリーですが、本作の素晴らしいビジュアルアートや設定資料やインタビューが満載でファン必携ブックです。

 

○主人公ロビンは当初、少女ではなく少年だった。

(↑ アートブック『The Art of Wolfwalkers』より、ロビンの初期キャラデザ。)

本作は当初、ハンターに憧れる「少年」ロビンが、オオカミ変身能力をもつ少女と出会う、ボーイミーツガールものとなる予定だったそうです。それはそれで面白かったかもしれませんが、製作陣がよく検討した結果、女の子に変更になりました。「ロビンを女の子にした方が、主人公が(女性に望ましい役割とは考えられていなかった)ハンターになろうとするドラマがより面白く、テーマも力強くなるはず」と考えたそうです。結果として本作の物語に一段と深みが生まれたわけで、大正解の判断だったと思います。またもや「人間の男子と異能の女子」の冒険だと、ケルト3部作の『ブレンダンとケルズの秘密』とも(兄妹だけど)『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』とも若干被ってしまうしね…。

ちなみにロビンのフルネームの「ロビン・グッドフェロー」は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』に出てくるパックの別名でもあります。ロビンがイギリス出身であり、魔法や妖精を連想する不思議な世界とつながる運命を示唆するように、「イギリスで最も有名な妖精のキャラクター」にちなんで名付けたとトム・ムーア監督。相棒のハヤブサ「マーリン」もアーサー王物語の魔法使いに由来する名前なので、イギリス出身の魔法系コンビって感じですね。

 

○メーヴのフルネームは「若いオオカミ」

劇中でメーヴが名乗るフルネームは「Mebh Óg MacTíre」。「Óg MacTíre」とアイルランド語で「若いオオカミ」という意味だそうです(Ógが若い、MacTíreがオオカミ)。ちなみにメーヴの母・モルのフルネームは「Moll MacTíre」なので、一族の中でまだ子どもの場合はメーヴみたいに「Óg MacTíre」になるということかな。ウルフウォーカーの苗字が「オオカミ」ってそのまんますぎる気もしますが、人間に紹介する時などに使う用の名前なのかもですね。

ちなみに「メーヴ」という名前はケルト神話の女王メーヴに由来しています。とても強い力をもつ女王で、伝説によると高さ12mの岩丘に埋葬されているとのこと。アイルランドの神話との土地的な繋がりを重視する本作の主人公にふさわしい名前です。

 

○メーヴのキャラデザもけっこう紆余曲折!

性別が変更されたロビンほど抜本的な変化ではないものの、メーヴのキャラクターデザインもかなり大胆な試行錯誤が重ねられたことがアートブックから伺えます。

↑デザインの超初期段階で、メーヴの「野性」を表現したラフスケッチ。野性があふれすぎてポップさのかけらもない味わいがたまらない。

↑完成版に少し近づいたメーヴの初期キャラデザ。「森の怪しい子ども」って感じで恐ろしげでカッコイイですね。オオカミっぽい目はこの辺で決定したのかな。

↑「妖精」感にあふれたかわいらしいメーヴ初期案。完成版よりオオカミ感や野生味は薄く、ファンシーな雰囲気。(どっちかっていうとロビンよりもこっちが「パック」だね…)

↑ほぼ完成版なスケッチ。前の2つのデザインを混ぜ合わせたような印象もあるが、比べて見ても改めて素晴らしい。鋭いアイラインの入った丸い目や、おでこの色合いが醸し出すオオカミ特有のワイルド感と、どこかフクロウも思わせる人間離れしたシルエットも効いて、まさに「森の野生」を体現する絶妙なキャラデザができあがっていく。

↑そして正式なメーヴが完成するのだった。秀逸なキャラクターデザインを作るには徹底した試行錯誤が必要なんだなあ、という当然のことがよくわかりますね。

 

○名場面「ウルフビジョン」ではVRも動物学も活用!

オオカミ視点の世界を独特のアニメーションで表現した「ウルフビジョン」の場面は『ウルフウォーカー』の最も素晴らしいシークエンスの1つ。現実にオオカミとして生きるとはどういう感覚なのか…という、人には知り得ない謎にアニメで答えるため、オオカミの能力にまつわる動物学的な知見も参考にしつつ、あのような鮮烈なシーンが生まれたのです。

「オオカミはあまり多くの色を見られないため、背景を灰色っぽくしたが、嗅覚と聴覚は非常に鋭いので、豊かな色彩を使ってその感覚を表現した」と作り手は語っています。人間とは比べ物にならないほど強力な「鼻と耳」をもつオオカミにとって、世界がどれほど鮮やかに「見えて」いるかを、人間にもイメージしやすい「色彩」によって表現した、まさにセンス・オブ・ワンダーに満ち溢れた場面でした。

「ウルフビジョン」の場面を作るのは非常に大変だったようで、その制作過程がこちらの動画で詳しく紹介されています。

youtu.be

オオカミに変身したロビンが、ウルフビジョンを駆使して森を駆け抜ける場面は、まず3Dモデルで森のVR空間を作り、そこに精緻かつ膨大な数の手描き2Dアニメーションを組み合わせていくという、「2.5次元」スタイルと呼ぶべき革新的な手法を取っているとのこと。ロビンが家でオオカミとして目を覚まし、初めてウルフビジョンを体験する場面だけで、実に1500枚もの印刷物が必要だったというから壮絶です。その甲斐あって、何度見ても引き込まれる見事なシーンに仕上がっています。

 

○物語の舞台キルケニーは、カートゥーンサルーンの本拠地。

『ウルフウォーカー』の舞台は17世紀アイルランドの町・キルケニー。この町は実在する土地で、実は本作を手掛けるアニメスタジオのカートゥーンサルーンが本拠地を構えています。地元の町並みや自然や歴史や伝説を豊かに取り入れた「地元アニメ」としての側面もあるんですよね。

↑古の絵画を思わせる、平面的な描写を巧みに組み合わせた、キルケニーの町の描写。

↑実際のキルケニー。昔の町並みが色濃く残っているようです。

↑アートブックより、キルケニーの森を散策するスタジオの皆さん。まさに作中でロビンが迷い込む森を思わせる美しい緑が広がっていて素敵。

 

○元ネタ伝説?「オッソリーの人狼

『ウルフウォーカー』がインスピレーションを受けたとされる、アイルランドで最も有名な「変身」にまつわる伝説が「オッソリーの人狼」です。

en.wikipedia.org

その伝説では、ある僧侶がオオカミに「死にかけている母に臨終の儀式をしてほしい」と頼み事をされます。オオカミがいうには、自分とその妻はオッソリー(現在のキルケニーが含まれる昔の地名)にずっと住んでいるのだが、7年ごとに動物に変身して生きないといけない呪いにかけられていて…といった話。詳細は省きますが、「眠ると魂がオオカミに変身して抜け出してしまう」という不思議な現象は、実際に土地の伝説として語り継がれてようです。 トム・ムーア監督も子どもの頃にこの奇妙な伝説を耳にして以来、いつか創作のアイディアになるだろうと考えていたそうな。

 

○「護国卿」のモデルはオリバー・クロムウェル

本作の悪役ポジションである「護国卿」は、イギリスの軍人・政治家であるオリバー・クロムウェル[1599~1658]がモデルになっています。ピューリタン革命の指導者として知られる人物で、歴史のある側面から見れば英雄的な存在とも言えるかもしれません。しかし史実では1649年にアイルランドを征服し、1653年には護国卿となって独裁政治を行いました。オオカミや森に象徴される自然は邪魔なものとされ、「近代化」の波がアイルランドに押し寄せます。そうした歴史の影が『ウルフウォーカー』にも色濃く反映されているわけです。

ja.wikipedia.org

クロムウェル感がもっと濃厚な(髪型とか)初期デザインのスケッチ。わりと小悪党(物理的に)という感じですが、完成版になるにつれて大物感がマシマシに。

 

○オオカミは「難民」の象徴かもしれない。

トム・ムーア監督は、『ウルフウォーカー』の晴れやかながらもどこか物悲しいエンディングを指して、「オオカミたちは逃げなければならない。誰でも知っているでしょうが、オオカミは100年後に絶滅してしまいます」と語ります。実際その通りで、アイルランドでは1786年に最後のオオカミが殺されたとされ、それ以来2度とオオカミの姿を見た人はいません。本作のファン的には悲しい事実とも言えますが、だからこそ本作は"歴史改変IF"のような形で「もしも護国卿が敗北していたら」「もしもオオカミたちが殺されず、逃げ延びたら」「自然が"近代化"の波に飲み込まれることがなかったら…」と空想するような、現代に向けた祈りのような形の結末を迎えたのでしょう。

同時にムーア監督は「オオカミたちはrefugees(直訳:難民)である」とも語っています。私は(先述の対談でも語ったように)主にオオカミを「自然」の象徴として読み解いていたんですが、「故郷を追われるマイノリティ」のメタファーとしてオオカミを見る解釈も、難民の境遇への理解や共感がかつてないほど求められている今、凄く重要だよな…とハッとしました。

難民といえば、つい先日公開された傑作アニメ映画『FLEE』を連想します。アフガニスタンからの難民(かつ性的マイノリティ)である主人公に、どこまでも親密な視点で寄り添ってみせる『FLEE』。権力によって故郷の森を破壊され、生き延びようと走るマイノリティたちの運命を描く『ウルフウォーカー』。全く違うように見えて、どこか繋がる点も多い映画だなと思うので、海外アニメ好きはどちらも必見です。

numagasa.hatenablog.com

↑『FLEE』感想記事も書きました。アニメの可能性は無限。

 

オマケ

・アートブックの最後のページには謎のおふざけイラストがいっぱい載ってて楽しい。(ちなみに「Nani?!」は「What!?(何!?)」の日本っぽい言い方として海外の一部で定着しつつあるらしい。アニメでもよく出てくるもんね…。)あと絵柄のインパクトで気づかなかったけど、このメーヴ思いっきり『もののけ姫』じゃねーか!!

おしまい。