沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

『ナイトクローラー』を語るナイト

f:id:numagasa:20150825232321p:plain

  • 映画『ナイトクローラー』(原題:Nightcrawler)を観たので、感想を書こうと思います。ヒューマントラストシネマ渋谷、1300円。イラストは、ナイトつながりでホッパーの「ナイトホークス」とクロスオーバーしてみました。こういうの楽しい。
  • さて『ナイトクローラー』、結論から言えば、めちゃくちゃ面白かったです! 間違っても明るく楽しい話ではありませんが、大好きな映画ですね。去年の作品で言うと『ゴーン・ガール』に匹敵するかも。公開直後なので、一応ネタバレを避けつつ語ってみたいと思います。
  • 一言で説明すると、いわゆる「パパラッチ」のお話です。一般的には有名人のスキャンダラスな写真を撮ろうとする人々を指しますが、それとは別に、夜の街で起こった衝撃的な事故や事件の写真を専門とするパパラッチというのがいて、彼らは「ナイトクローラー」(夜に這い回る者)と呼ばれます。ジェイク・ギレンホール演じる主人公・ルイスは、コソ泥をしながら日銭を稼ぐ生活に限界を感じていましたが、偶然この「ナイトクローラー」の世界に足を踏み入れることになり…?というお話です。
  • まぁ〜このルイスという男が実にとんでもない奴なんですね。良心のかけらも持ち合わせていない。冒頭からして、コソ泥の現場で出くわした警備員を、逆にぶちのめして身ぐるみはいでしまうという凶悪さ。「いや、誤解なんだ」とか言いながら愛想笑いを浮かべながら近づいて行って、隙を見て警備員に遅いかかる。その瞬間だけはカメラがぐっと遠ざかり、まるで野生動物の捕食の瞬間を引きの絵でとらえたようなクールなカット。「こんなのは別にドラマチックな出来事ではなく、この街では、そしてルイスの人生にはよくあることだ」という酷薄な印象を強く残します。わずか数分の冒頭シーンですが、この主人公が間違っても善良な人間ではないこと、そしてこれから善人になる可能性もおそらくないことが鮮烈に示されていました。そこにいたるまでに次々と映し出される夜のLAの風景も含め、超かっこいいオープニングです。
  • とはいえ、結局のところは「泥棒」として周囲に見下されているルイス。取引先に「ぼくを従業員として正式に雇わないか?」と必死に感じ良くアピールするも、「コソ泥は雇わない」とバッサリ。(それを聞いたルイスの「きみも言うねえ」みたいな朗らかな笑顔がとても怖い!) いくら外面を取り繕っても、ルイスの「邪悪さ」というのは何だかんだ周囲に伝わっちゃってるのですね。
  • しかしルイスはひょんなことから、先述した「ナイトクローラー」という「天職」に出会います。それは彼の「邪悪さ」がこの上ない長所として活かされる仕事でした。銃で撃たれて死にかけている男に、何の良心の呵責もなく近づいてビデオカメラを向けるルイス。そしてそのテープをテレビ局のニュース番組の編集部に持っていくと、「近くから生々しく被害者が撮れている」と評価され買い取ってもらえるのでした。それに味をしめたルイスの、「ナイトクローラー」としての恐るべき快進撃が始まります。
  • 持ち前の行動力と頭脳を生かして、警察の無線を傍受しながら、悲惨な事故や事件を求めて夜の街を走り回るルイス。なんといっても良心がないので、法律的にはギリアウト、倫理的には完全にアウトな手段をとりつつ、ガンガン刺激的な「画(え)」をビデオカメラに収めていきます。テレビ局の女性部長ニーナを話術と駆け引きで篭絡しながら、ルイスは次第に「ナイトクローラー」としてのし上がっていく。
  • その「のし上がる」過程がドス黒くて、ひたすら面白い。ルイスは本当に邪悪な人間なわけですが、その迷いのなさは同時に強烈な魅力でもあります。観客はルイスに嫌悪を覚えると同時に、「さすがルイス!俺たちにできないことを平然とやってのける!そこにシビれる!あこがれるゥ!」という心境にもなっていくわけです。
  • ではこのルイス、完全無欠な悪のカリスマかというと、意外とそうでもないのが面白い。この人、基本的に一日中パソコンとテレビばかり見る生活を送っているため、ネットとかによく転がってる「成功するための20の法則」みたいなのをぜんぶ鵜呑みにしてるんですよ。「機会を逃すな!」「コミニュケーションが何より大事なんだ!」みたいなヤツ。そういう格言を仕事で追い詰められた時とか部下がミスって激昂した時とかに、まるで「箴言」のように口にする姿が哀れをさそい、つい笑っちゃいます。世に溢れている「ライフハック」的なアレコレに対する強烈な風刺ですよね。そういう「成功の法則」みたいのを盲信した結果生まれる人間がコレだよ!っていう。
  • そんなカッコイイ最低男・ルイスの「ナイトクローラー」としての仕事を観客は追体験していきます。最初はもちろん「最低だな…」と思いながらルイスの働きぶりをみているわけですね。しかし本作が恐ろしいのは、だんだん「この仕事、ちょっと面白そう…」とすら思えてきてしまうこと。ルイスにあまりにもためらいがないので、一種のゲーム感覚が生まれてくるというんでしょうか。途中、交通事故の現場に一番乗りしたルイスが、現実を歪めてまで「いい画(え)」を撮ろうとするシーンがあるんですが、やってることは最低最悪なはずなのに、完成した画(え)を撮りながら恍惚とした表情を浮かべるルイスに、「ああ、これは嬉しいだろうな」と感情移入してしまったのに我ながらゾッとしました。
  • 本作は「決定的な瞬間を切り取ることそのものの快感」がしっかり描かれていて、そこがまた恐ろしい。だって別にパパラッチに限らず、アート寄りの写真でも、それこそ絵画でも漫画でも映画でも、「完璧な一瞬を永遠に刻みたい」というのは「芸術」というものの究極の目標の一つですよね。その欲望に善悪や倫理は関係なくて、ジャンルによる貴賎もなくて、実はパパラッチだろうが芸術家だろうが、「決定的な瞬間」をモノにした時の快感は同じではないか。そういうところにまで本作は踏み込んでいる。そこが怖いのです。
  • この作品、基本的には一人のサイコパスが闇の世界をのし上がっていく「ダークヒーロー活劇」なわけですが、すごく重層的な社会問題を扱った映画としても見られる点が、批評家にも絶賛されている理由だと思います(ちなみにRotten Tomatoesでは支持率95%)。「報道やマスメディアへの批判」だとか、「ブラック企業に対する風刺」だとか、すでに色々な観点から論じられているようですし、いずれの見方も正しいのでしょう。
  • しかし個人的には、先述した「芸術的な衝動」というのが実はすごく重要なテーマなんじゃないかと感じました。ルイスはいかに「成功するか」ということしか考えていない化け物として描かれていて、実際にそういうヤツなんだと思います。しかし実は、そんな人間性のかけらもないルイスが本当に取り憑かれているのは、皮肉にも最も人間的な欲望、すなわち「決定的な瞬間」を手中にしたいという「芸術的な衝動」なのではないか。
  • (ここからちょっとネタバレ注意ですが)監督や俳優によればこの物語は「究極のサクセス・ストーリー」ということ。実際、ルイスはさまざまな悪行の報いを受けることもなく、成功をつかんで物語は幕を閉じます。「悪い奴が成功するなんて不快な話だな」と思う向きもあるかもしれませんが、私はラストで闇へと車を走らせるルイスが、破滅の運命に向かっているように見えました。
  • というのも、きっとルイスはどんなに成功しても、ナイトクローラーの現場を離れることはできないと思うんですよね。「決定的な瞬間をモノにする」という芸術的(人間的)な快感を知ってしまったから。そして、ただでさえ危険なこの業界で、リスクを倍増するようなルイスの強引なやり方がずっと続けられるとはやはり思えません。遅かれ早かれ、待っているのは破滅でしょう。良心や善意といった人間性を捨てたところで、結局は「人間であること」からは逃げられない。そうとは知らないうちに宿命的な破滅に向かい、夜の暗闇に呑まれていくルイスであった…。あのラスト、私はそういうニュアンスを読み取りました。見当違いかもですが、色々な解釈ができる終わり方だと思うのです。
  • あ〜、全然語りきれてないけど長いので終わります。絵も描いた上に3000字オーバーとかホントどうなのって感じですね。まあ、1年に数本もないような傑作映画だし、よしとするか…。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます(いるのだろうか)。ではおやすみなさい…。