沼の見える街

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『ストレイト・アウタ・コンプトン』感想

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  • 映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観ました。シネクイント、1100円。海外のヒップホップ事情とかロクに知らないんですが、それでもスゴイ面白かったです。マジにドープな映画でした(←すぐ影響される)。
  • 伝説的なヒップホップグループ「N.W.A.」の誕生と成功、そして分裂に至るまでの光と影を描いた作品です。このグループがどれくらい凄いかというと、いわゆる「ギャングスタ・ラップ」というジャンルの始祖のような存在なんですね。「ラップ」とか「ヒップホップ」と聞くと、なんか怖そうなアメリカの黒人男性が「ファッキューメーン」とか言いながら気にくわないやつをディスってる、みたいなイメージをもっている方が(私含め)多いと思うんですが、この「N.W.A.」こそが、そういうボンヤリした「ラップ像」の源流にあるといっても過言ではないわけです。(エミネムとかも「N.W.A」を超リスペクトしてます。事実上の師匠みたいなもんだそうな。)
  • しかし面白いことに、そんな「ワル」の代名詞のような音楽ジャンル「ギャングスタ・ラップ」の基盤を築き上げた「N.W.A.」は、いわゆるカッコイイ「ワル」とはかけ離れた地点から出発したグループでした。その辺の事情が、ユーモラスかつドラマチックに描写されていく映画なのです。
  • 物語の中心的な人物は、イージー・E(ジェイソン・ミッチェル)、ドクター・ドレー(コーリー・ホーキンス)、アイス・キューブオシェイ・ジャクソン・Jr)の3人です。みな「N.W.A」のメンバーですが、それぞれ出自は全く違います。
  • イージー・Eはギャングの下っぱの麻薬ディーラーとして働いていましたが、取引場所の家屋を警察が装甲車で(!)ぶっ壊したりするような物騒すぎる日常に嫌気がさし、足を洗って音楽ビジネスで一発逆転を図ろうとします。
  • ドクター・ドレーは天才的な音楽センスを持つDJでしたが、仕事先のクラブの高圧的な上司のせいで、好きな音楽を演奏することができません(当時のラップは低俗なクズのためのクズ音楽とみなされていました)。弟想いの優しい兄貴でもあるのですが、音楽に没頭するあまり母親には愛想をつかされています。
  • そして一番「ワル」からほど遠いのが、若き知性派ラッパー・アイスキューブです。(比較的)裕福な家庭に育ち、街から離れた(比較的)エリートな学校に通わされています。映画のタイトルにもなってる名曲『ストレイト・アウタ・コンプトン』のド頭で「俺はコンプトン生まれコンプトン育ち!」みたいなことを叫ぶんですが、そもそもお前コンプトン出身じゃないだろ!(←追記:この辺の諸事情に関して解説をいただいたので、コメント欄のMachitaさんの文をお読みいただければと思います…!)それでもアイスキューブは通学バスの中でも一所懸命に作詞をしたりと、熱いラップ魂をもった若者なんですが、ある日マジもんのガチ怖なギャングと出くわしてしまい、彼らと自分との間に越えられない一線を感じたりもしています。
  • そんな「格好いいワル」とは言い難い3人(とその仲間達)が、ひょんなことから結びついて音楽活動をスタートさせていく過程が序盤の見所です。それぞれ立場の異なる彼らに共通しているのが、社会から虐げられている貧しい黒人としての、やり場のない「怒り」でした。
  • 街を歩いていれば、黒人だからというだけの理由で警戒され、何も悪いことをしていないのに警官にニラまれ、時には逮捕されたり暴力を受けたり、屈辱的な想いをすることになる。また一方で、非道なギャングの仁義なき抗争に巻き込まれたりすることもあって、色々な意味でひどい境遇で生活しているわけです。
  • そうした日々の中で生まれるモヤモヤした情念を、「自分たちのリアルな日常を歌にする」という行為を通じて、世間に届けてやろうぜ!と彼らは決意する。もちろん当時はそんな「歌」になどなんの価値も無かったわけで、「チンピラのクズどものくだらない日常に誰が興味をもつんだ?」と笑われるのが関の山でした。
  • それでも彼らは、その「無価値」な「現実」をリズムに乗せて歌うことにした。こうして強烈なリアリズムに満ちた新たな音楽ジャンル「ギャングスタ・ラップ」が誕生し、それが誰も予想しなかった盛り上がりを見せていく。たとえラップに詳しくなくても、彼らが自分たちの「声」を獲得していく過程にはグッときてしまいます。
  • その様子もドープ(カッコイイの意)なだけではなく、とてもユーモラスで楽しいんですよね。のちに超重要なラッパーとなるイージー・Eですが、最初は自分がラップをやってみる気などさらさらありませんでした。レコーディング現場で仲間に「やってみろ」と言われて仕方なく試してみるも、しょせんは素人なので「へたくそ!」と爆笑されてしまいます(ひどい)。しかしその独特の甲高くて素人臭い声には掛け替えのない魅力があったようで、『ボーイズ’ン・ザ・フッド』で衝撃のデビューを飾ります。こういうくだりの楽しさは、実在ミュージシャン映画の醍醐味ですよね。(そして後半の悲しい展開の中で、この時の彼らの和気あいあいっぷりを切なく思い返すことになります…。)
  • 街の人気者にのし上がっていく「N.W.A.」ですが、彼らに対する世間の風当たりは厳しく、特に警察には目をつけられていました。ある日レコーディングの休憩をしていた彼らは、突然あらわれた警官に、地面に這いつくばるよう命じられます。あまりに理不尽な屈辱に耐えながら、言われた通りにするメンバーたち…。
  • しかしこの事件をきっかけに「N.W.A=Niggaz Wit Attitudes(主張する黒人たち)」というチーム名の真価が発揮されていくことになります。それが『ファック・ザ・ポリス』という有名曲であり、文字通り「くたばっちまえクソ警官ども!」と叫ぶ、当時としては過激すぎる内容になっています。しかしこの曲は、おなじく警察の暴虐っぷりに不満を感じていた街の人々に熱狂的に受け入れられ、「N.W.A.」の代名詞のような存在と化していきます。
  • 「N.W.A.」の人気がウナギ登りになっていく一方で、警察からの締め付けも厳しくなる。中盤に大規模なライブがあるのですが、その直前に大勢の警官から、「あの曲を歌ったらどうなるかわかってるな?」と脅しをかけられます。この時代に警察組織(とFBI)がもっていた力は強大なもので、逆らったところで得るものはなく、失うものの方が圧倒的に大きかった。ライブが始まっても観客席から警察たちが目を光らせていて、会場には不穏な空気が立ちこめます。
  • それでも「N.W.A」は、『ファック・ザ・ポリス』を歌わずにはいられなかった。彼らはカッコイイ「ワル」なんかではないし、かといって清く正しい「ヒーロー」でもない。そのことは、一貫して映画の中で強調されていました。ちょっと成功して小金が儲かれば、狂喜乱舞して湯水のように贅沢をしてしまう。ビジネス面でもコロッと騙されて、もっと悪い奴らの食いものにされてしまう。「N.W.A」は現在では神のように崇められていますが、この映画の中ではワルでもヒーローでも神でもない、ある意味「中途半端」な存在として描かれているわけです。
  • そんな彼らでも、自分たちの最も根源的な怒りをこめた曲『ファック・ザ・ポリス』を「歌うな」などという命令には、絶対に従うわけにはいかなかった。「やっちまえ」とばかりにステージで『ファック・ザ・ポリス』をぶちかましてしまい、案の定とんでもないことになるわけですが、彼らの姿は永遠の「伝説」となる。この中盤のクライマックスには、どうしたって燃えざるをえません。超アガります。マジにドープでした(他に語彙はないのか)。
  • …もっと語りたいのですが、長いし語彙もないのでそろそろ終わります。あ、悪徳マネージャーを演じるポール・ジアマッティも素晴らしかったです。「またお前かよ!?」って感じですが…。だって今年、「ビーチ・ボーイズ」の歌手ブライアン・ウィルソンの生涯を描いた『ラブ&マーシー』でも主人公をたぶらかす悪徳マネージャーやってましたよね?  全く違うアーティストを題材にした音楽映画で、1年に2回もおんなじような役をやるってどういうことだよ! どんだけ代えの効かない存在なんだよジアマッティ。凄いけどなんか笑っちゃいました。
  • こんなところで終わります。ヒップホップとか興味ねーYO!って人でも楽しめる、音楽好きも映画ファンも必見の傑作だと思うので、年末年始にでもぜひご覧になってみては。ちなみに私は今年は本作でラストにします…(これで88本かな)。ぬまがさ年間ランキングも実施しようと思うので、興味のある奇特な方は覗いてみてくださいませ。ではでは。