沼の見える街

ぬまがさのブログです。おもに映画の感想やイラストを描いたりしています。

映画『FLEE』感想:現実を偽らざるをえない人と、現実を「捻じ曲げる」アニメの力

アニメ映画『FLEE』を観てきた。大変良かったし、アニメファンにとっても重要な作品と思われるので長文感想を書いておきます。関連するオススメ作品も後半でいくつか紹介。

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同性愛者の存在自体が許されないアフガニスタンから、難民として「逃走(英語でFlee)」したゲイの青年の人生を、ドキュメンタリーとアニメーションを織り交ぜた手法で語り直した映画。

その特異な成り立ちもあって、アカデミー賞の国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門に同時ノミネートされたという前代未聞の成果を残した。いま最も熱い俳優リズ・アーメッド(『サウンド・オブ・メタル』『ゴールデン・リバー』他)や、ニコライ・コスター =ワルドー(『ゲーム・オブ・スローンズ』の"王殺し”ジェイミーで有名)といった著名人が本作を支援し、エグゼクティブプロデューサーとして名前を連ねている。

 

世にアニメーション映画は数あれど、本作ほどアニメである必然性が大きい作品は前代未聞と思われる。というのも実写でやると「登場人物」の命が危ないからだ。本作に登場する「主人公」のアミンは、顔も名前も実際のものとは異なり、そのインタビューの様子がアニメ化されていることが一種の「身バレ対策」になっている。アミン自身は現在デンマークで暮らしているのだが、その素性が明かされてしまえば家族や親類にも危険が及ぶだろうし、本人の生活も脅かされるかもしれない。

一方で、よくある(人物の身元を明かせない)実録ドキュメンタリーのように、実写にして顔にモザイクをかけたり声をいじったりしてしまえば、本作の根幹テーマである「難民や性的マイノリティの人々も観客と全く同じ人間であり、日々のごく普通の生活や喜びがあって、理不尽な抑圧に苦しんでいる」という事実が観客にもたらす共感が削がれてしまう恐れもある。だからこそ本作はドキュメンタリー「かつ」アニメーションという手法を選んだのだろう。過酷で残酷な現実を映すドキュメンタリーに、アニメーションという一握りの「嘘」を加えることで、現実の困難に真っ向から立ち向かうことを選んだアニメ映画なのである。

 

いうまでもなく本作が描く内容は今、極めて重要と言える。まずはなんといってもウクライナへのロシア侵攻のせいで大量の難民が生まれている今、難民の人々が陥っている苦境への解像度を上げることが世界的に、これまで以上に求められているのだから。

アミンの語りから、アフガニスタンで生きてきた彼が故郷を追われ、難民となるまでの辛い記憶が物語として構築されていく。a-haの名曲「Take On Me」のメロディに載せた少年時代の回想は、遠い異文化の地で生きてきたアミンの生活を、西洋文明に馴染んだ私たち観客にも身近なものに感じさせる。(脱線するが「Take On Me」が最近、映画などでだいぶ好意的・感動的なトーンで使われるのを目にすることが多く、翻って『ラ・ラ・ランド』での冷笑的な使われ方を思い出して「そういうとこだぞチャゼルお前」とぶり返しがち。名曲やろがい!) 

そうしたアミンに対する親密な視点は本作全体を貫いている。難民がそんな小さな幸せや愛のある生活からどのように切り離され、理不尽に故郷を追われ、とんでもない苦境の中で死んだ方がマシなような思いをしながら、ささやかな助けと平穏を求めて他国にやってくるのか。そうした現状への想像力を働かせるための作品として、まずはシンプルに万人にオススメすることができる。そうした想像を拒否するどころか、むしろ積極的に排外主義を煽る言説が罷り通るような世の中であれば、なおさら重要と言える。

 

だがもっと言えば、すでに500万人を超すウクライナ難民が、比較的スムーズに周辺諸国に受け入れられて(難民に固く門戸を閉ざしてきた日本でさえ1000人ほど受け入れて)いる現状に対して、アフガン難民などになぜ同じ対応ができなかったのか、その違いの根底にあるのはレイシズムではないのか、といった批判的な声も目立つようになりつつある。難民救済という切羽詰まった状況においてさえ、人種や経済にまつわる差別が根ざしうることを直視させる作品としても、本作は大きな意義をもつ。

特に「クルーズ船」の場面は最も痛烈だった。決死の思いで海を越えてきた難民ボートの人々を、巨大な船から見下ろしながら、カメラを構えて呆然と突っ立っている裕福な乗客の姿は、どこか遠い場所の遠い悲劇として難民問題を「他人事」として捉えて消費しがちな、私たち観客のあり方と重ねざるをえなかった。おそらく本作の作り手は、自分たち(作り手)自身のカリカチュアとしてもあの場面を描いたと思われるが、だからこそグサリと刺さるものがあった…。

 

そして何よりも、アフガニスタン難民であり、かつ性的マイノリティ(ゲイ男性)として生きてきて、周囲に対して常に(二重の意味で)自分を偽らざるを得なかったアミンによる、極めて個人的で生々しい語りこそが、『FLEE』を特別な作品にしている。

ジャン・クロード・ヴァンダムに対する少年期の性的な憧れや、暗黒の旅路にわずかな光を灯すささやかな恋心、親類に言われた(悪気はなくとも異性愛規範的な)何気ない一言に傷つく心など、性的マイノリティとしての人生に基づく様々な体験が丁寧に語られていく。アミンの人生のこうした「ままならなさ」は本作独自のアニメーション表現の手法とも見事に一致しているように思える。

Flee - movie: where to watch streaming online

本作の冒頭で、アミンが少しぎこちなさそうに、緊張しつつ、本作の監督であるヨナス・ポヘール・ラスムセンのインタビューに応えようとしている。続いて、実はアミンが寝そべった状態で話していることがわかる。これは(パンフによると)ドキュメンタリーなどを過去に手がけてきたラスムセン監督おなじみの手法らしい。できるだけ取材対象にリラックスしてもらい、過去の辛い記憶などを掘り下げて話してもらうための配慮なのだろう。

日本のアニメを見慣れている観客からすると、この冒頭のアニメーションから「おっ?」と驚く人が多いのではないか。というのも、いわゆる(作画枚数を増やして)「ぬるぬる動く」系の動きとは正反対で、コマ数を減らすことで「かくかく」した動きになっているので。

インタビューパートは、実際に撮ったドキュメンタリー映像をアニメに落とし込む手法であるため、あまりフィクションのアニメのように「ぬるぬる」させると嘘っぽくなってしまう、もしくは生の語り口と合わなくなってしまうことからも、(別に省エネとかではなく)意図的にコマ数を落とす判断を選んだのだろう。

さらにアミンの語りから浮かび上がる過去の回想パートは、当然ながらドキュメンタリー映像が元ではなく、一からアニメを作っているのだろうが、こちらもインタビューパートと同じく「かくかく」した動きになっている。こうした「スムーズでない」アニメの質感が、何ひとつ「スムーズ」にはいかない厳しい現実と、2Dアニメ世界のフィクションの狭間にいるような、絶妙な違和感と実在感を本作の人物たちに与えていて、観たことのない斬新なアニメ効果を生んでいると感じた。

本作の2Dアニメはコマ数こそ少ないものの、作画や色彩やレイアウトといったビジュアル面は全体に高品質なこともあり、安っぽい印象は全く受けない。最近よく思うことだが、(日本のアニメ界で至高のものとされてるっぽい)「ぬるぬる動く」感だけがアニメの魅力では全くないよな…と改めて実感した。

本作のアニメのスタイルとしてはもうひとつ、アミンの記憶の中でも特に生々しく辛いものを、より抽象的な線と色のみで描く手法をとっている場面もあり、そちらも作中で非常に効果的な役目を果たす。(重厚な社会的テーマも大切だが)アニメーション表現そのものに関心がある人にもぜひ観てほしい一本となっている。

 

アニメ表現といえば、本作の表現技法に関して、ラスムセン監督が以下のような興味深い発言をしていた。

 

「これらの私的な物語を語る過程で、私は常に新しい方法や新しいアプローチを探求しようと心がけています。語られる物語に沿うように、映画の形式を捻じ曲げる方法を探るのです。」(『FLEE』パンフレット 監督声明より抜粋)

 

この「捻じ曲げる」という、一般的にはネガティブな意味合いで使われる言葉チョイスに興味を惹かれた。たしかに監督の言うように、『FLEE』はドキュメンタリーの形式も、アニメーションの形式も、そして(人物の顔や名前といった)事実も、どれも少しずつ「捻じ曲げる」ことによって生まれた作品である。

フェイクニュース問題をはじめ、現実を「捻じ曲げて」伝えることへの危惧は近年高まるばかりだが、その一方で本作が体現するように、従来の形式や事実をある意味で「捻じ曲げる」ことによってしか伝えられない"現実"もある。とりわけアフガニスタンから逃走するゲイ男性のように、何重ものマイノリティ性を抱え、社会の隅に追いやられた人々の物語を伝える場合はなおさらだ。

国籍と性的指向という二重の「秘密」を抱え、信頼していた恋人に裏切られたこともあるアミンにとって、ありのままの「現実」を伝えることは危険であり、他者に対して心を開くことは難しかった。しかしアニメーションという、現実と虚構の間を繊細に行き来できる表現手法をもつ本作を通し、アミンは自分の過去や記憶と向き合い、彼自身の"現実"を世に伝え、新たな人生に向けて一歩を踏み出すことができた。アニメーションがもつ現実を「捻じ曲げる」力を、かつてないほど有意義に発揮した本作のあり方は、現実を偽って生きざるをえなかったアミンの人生を、特異な形で肯定し、慰め、励ましているとも言えるのではないだろうか。

 

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「現実を"捻じ曲げる"ことで、社会に脅かされている人々の現実をあぶりだす」作品である『FLEE』の、精神的な姉妹作と言える映画が、奇しくもつい最近公開されている。『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』である。

こちらはアニメではなく、ディープフェイク技術によって取材対象のプライバシーを保護しながら、家父長的で横暴な権力に踏み躙られる性的マイノリティの地獄のような現状を観客に伝えている。だからこそ後半、ある人物のディープフェイクが「解除」される場面の驚きと感銘は忘れがたい。『FLEE』同様、本作も極めて志が高く挑戦的であり、結果としてそれぞれの表現技術の新たな可能性すら導き出している。マジで相当にキツイ作品だが、ウクライナ侵攻のせいで性的マイノリティの安全がいっそう危機にさらされている今、非常にタイムリーで重要な1本となってしまったので、余裕あればトライしてほしい。

 

アフガニスタンの市民の苦境を描く、『FLEE』と同じ海外アニメーションとして、『カブールのツバメ』も想起した。こちらは女性に対する抑圧がメインに描かれるが、女性差別と性的マイノリティ差別が完全に地続きであるということが、『FLEE』とあわせて見るとよく理解できると思う。(規模と程度こそ違えど)どちらの差別もいまだに苛烈である日本もまったく他人事ではない。

 

そしてアフガニスタンが舞台の海外アニメーション映画といえば絶対外せないのは、『ウルフウォーカー』でおなじみカートゥーンサルーンの名作『ブレッドウィナー(別タイトル:生きのびるために)』。

アフガニスタンが舞台のアニメといえば…的な知名度を(海外アニメファンの間では)そこそこ獲得してきた名作と思うが、未見の方も多いと思うし、Netflixなどで気軽に観られるので大変オススメ。

 

さらに戦争によって弾圧されてきた人々の人生を、『FLEE』と同じく温かみを感じさせる語り口と、圧倒的なアニメーション技術で描く、今年のアニメ映画『アンネ・フランクと旅する日記』もイチオシ。

今ちょうど劇場公開も配信/円盤もなくて見る手段がないかもだが…。まぁそのうち配信とか来るでしょう。

 

ついでにではないが、北朝鮮の収容所の悲惨な状況を生き延びる物語『トゥルーノース』も、素晴らしい海外アニメ映画なのでオススメしておきたい。

CGアニメ表現のローポリな「荒さ」が、むしろ苦境の中で生きるキャラクターたちに絶妙なリアリティを与えているという意味で、ジャンルやテーマこそ違えど『FLEE』と共通する長所が多い作品だと思っている。

 

このように、戦争や差別や排外主義といった重厚かつ社会的なテーマを、多かれ少なかれ現実を「捻じ曲げる」というアニメーション(やディープフェイク)の力を正当に駆使して、実写には不可能な形で力強く観客に突きつける名作が、このところ凄い勢いで世界中から生まれていて、アニメファン的にも目が離せない。『FLEE』はアカデミー賞の話題などもあって、広く認識されるチャンスも多そうだし、心から応援している。

願わくば日本アニメ界からも、こうした真摯でタイムリーなテーマ性をもつ作品が生まれてほしいとアニメファンとしては切望しているのだが、現在の日本アニメ業界の構造や雰囲気などを考えると、いつになるやら想像もつかないというのが正直なところである…。(最近だと強いていえば『犬王』の一部の描写は「おお」と思ったかな。)まぁ諦めずにまずは海外の素晴らしいアニメ作品の魅力を伝えていくところから、地道に積み上げていくべきなのでしょう。